リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』その141 1970年代の布地(1) [リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』]
元ハワイ大学教授のリンダ・アーサー氏が書いた
『20世紀のアロハ服』という本の翻訳をお届けしています。
「1970年代の文化的背景」は前回で終わり、
今回から新しく「1970年代の布地」について語られます。
『第8章「1970年代:民族の祝賀
布地(1)
文化的多様性をアロハ服で褒め称えるということは、
他の文化からデザインの細部を取り入れることに留まらず、
他の文化から布地を大量に採用するということにまで発展した。
インドネシアからのバティックの布地は
アロハシャツやムームーで非常にポピュラーであったし、
アフリカからのケンテ布やダシキ・プリント、
バティックなどはムームーに使われた。
中国の金襴やタイのシルクはホロクでポピュラーであったし、
パイナップルの繊維で作られた、フィリピン伝統のピーニャ布を模した
シルク混の布地も、それらと同様にホロクでポピュラーであった。(続)』
ケンテ布というのは、このような ↓ 布です。
(ボゴランマーケットの商品ページより引用)
ウィキペディアによれば、
「ケンテは手織りで四種類のパターンを織り出した、
幅8~10cm×長さ3m超の細長い布を24枚接ぎ合せて作る大きな一枚の布」
だそうです。
また、ダシキ・プリントというのは、このような ↓ 布です。
(ファティマートの商品ページから引用)
そもそも「ダシキ」というのは、下のような形の ↓ 西アフリカの衣装で、
飾りのあるVネックに特徴があるそうです。
(ウィキペディアより引用)
そして、前々回のこの欄でご紹介した、こちら ↓ のシャツは
上の記述で言うところの「バティック」っぽい柄ですね。
1970年代らしい柄のアロハシャツと言えるのかもしれません。
(次回に続く)
『20世紀のアロハ服』という本の翻訳をお届けしています。
「1970年代の文化的背景」は前回で終わり、
今回から新しく「1970年代の布地」について語られます。
『第8章「1970年代:民族の祝賀
布地(1)
文化的多様性をアロハ服で褒め称えるということは、
他の文化からデザインの細部を取り入れることに留まらず、
他の文化から布地を大量に採用するということにまで発展した。
インドネシアからのバティックの布地は
アロハシャツやムームーで非常にポピュラーであったし、
アフリカからのケンテ布やダシキ・プリント、
バティックなどはムームーに使われた。
中国の金襴やタイのシルクはホロクでポピュラーであったし、
パイナップルの繊維で作られた、フィリピン伝統のピーニャ布を模した
シルク混の布地も、それらと同様にホロクでポピュラーであった。(続)』
ケンテ布というのは、このような ↓ 布です。
(ボゴランマーケットの商品ページより引用)
ウィキペディアによれば、
「ケンテは手織りで四種類のパターンを織り出した、
幅8~10cm×長さ3m超の細長い布を24枚接ぎ合せて作る大きな一枚の布」
だそうです。
また、ダシキ・プリントというのは、このような ↓ 布です。
(ファティマートの商品ページから引用)
そもそも「ダシキ」というのは、下のような形の ↓ 西アフリカの衣装で、
飾りのあるVネックに特徴があるそうです。
(ウィキペディアより引用)
そして、前々回のこの欄でご紹介した、こちら ↓ のシャツは
上の記述で言うところの「バティック」っぽい柄ですね。
1970年代らしい柄のアロハシャツと言えるのかもしれません。
(次回に続く)
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