リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』その52 1945年~1950年代半ばの文化的背景(3) [リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』]
元ハワイ大学教授のリンダ・アーサー氏が書いた
『20世紀のアロハ服』という本の翻訳をお届けしています。
現在は「1945年~1950年代半ばの文化的背景」について語られています。
『第5章「1945年~1950年代半ば
:クラシック・シルキーズ(古典的レーヨン羽二重)
文化的背景(3)
1946年にホノルル商工会議所は、アロハシャツについて調査し、
ビジネスマンたちが夏の暑い数か月間にも
着用できるような服にふさわしいデザインを用意するために、
当時の金額で1000ドルを拠出した。
また、ホノルル統合市郡の職員が毎年6月から10月まで
スポーツシャツを着ることを許可する決議案が議会で承認されたが、
アロハシャツはそこから除外された。
その決議は、「淡色の開襟スポーツシャツ」は承認したが、
「派手な色と柄の開襟スポーツシャツ」は承認しなかったのである。
翌1947年には最初のアロハウィークが開催され、
その際、ホノルル市職員はアロハシャツを仕事で着ることを許可されたが、
毎年たったの1週間に限られていた。』
1947年に最初のアロハウィークが開催されました。
その期間にはハワイの伝統や文化に目を向けることが奨励され、
アロハシャツは、そのようなハワイの伝統を体現したシャツとして
認識されるようになったわけです
(実際は、わずか十数年前に、観光客向けの土産物として生み出された、
歴史の浅い服であるにもかかわらず、「ハワイの伝統衣装」であるかのように
打ち出されたのです)。
そのため、1947~49年あたりには、
(前回のブログで翻訳した記述にもあったように)
「ハワイの歴史を取り上げるようなモチーフが
柄に加えられるようにもなった」のです。
例えば、こちら ↓ は「ヒストリー・オブ・ジ・アイランズ」
(ハワイ諸島の歴史)という文字が書かれているアロハシャツになります。
(筆者コレクションより)
「歴史を取り上げるモチーフ」が入っていることから、
このアロハシャツは1948年前後に作られたものであろうと推測されるのです
(1950年代に入ると、アロハウィークの意味合いが変わっていったのか、
あるいは伝統文化に対する注目が視野日になっていったのかはわかりませんが、
「歴史を取り上げた柄」はほとんど見られなくなります)。
(次回に続く)
『20世紀のアロハ服』という本の翻訳をお届けしています。
現在は「1945年~1950年代半ばの文化的背景」について語られています。
『第5章「1945年~1950年代半ば
:クラシック・シルキーズ(古典的レーヨン羽二重)
文化的背景(3)
1946年にホノルル商工会議所は、アロハシャツについて調査し、
ビジネスマンたちが夏の暑い数か月間にも
着用できるような服にふさわしいデザインを用意するために、
当時の金額で1000ドルを拠出した。
また、ホノルル統合市郡の職員が毎年6月から10月まで
スポーツシャツを着ることを許可する決議案が議会で承認されたが、
アロハシャツはそこから除外された。
その決議は、「淡色の開襟スポーツシャツ」は承認したが、
「派手な色と柄の開襟スポーツシャツ」は承認しなかったのである。
翌1947年には最初のアロハウィークが開催され、
その際、ホノルル市職員はアロハシャツを仕事で着ることを許可されたが、
毎年たったの1週間に限られていた。』
1947年に最初のアロハウィークが開催されました。
その期間にはハワイの伝統や文化に目を向けることが奨励され、
アロハシャツは、そのようなハワイの伝統を体現したシャツとして
認識されるようになったわけです
(実際は、わずか十数年前に、観光客向けの土産物として生み出された、
歴史の浅い服であるにもかかわらず、「ハワイの伝統衣装」であるかのように
打ち出されたのです)。
そのため、1947~49年あたりには、
(前回のブログで翻訳した記述にもあったように)
「ハワイの歴史を取り上げるようなモチーフが
柄に加えられるようにもなった」のです。
例えば、こちら ↓ は「ヒストリー・オブ・ジ・アイランズ」
(ハワイ諸島の歴史)という文字が書かれているアロハシャツになります。
(筆者コレクションより)
「歴史を取り上げるモチーフ」が入っていることから、
このアロハシャツは1948年前後に作られたものであろうと推測されるのです
(1950年代に入ると、アロハウィークの意味合いが変わっていったのか、
あるいは伝統文化に対する注目が視野日になっていったのかはわかりませんが、
「歴史を取り上げた柄」はほとんど見られなくなります)。
(次回に続く)
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