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リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』その51 1945年~1950年代半ばの文化的背景(2) [リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』]

元ハワイ大学教授のリンダ・アーサー氏が書いた
『20世紀のアロハ服』という本の翻訳をお届けしています。

現在は「1945年~1950年代半ばの文化的背景」について語られています。


『第5章「1945年~1950年代半ば
     :クラシック・シルキーズ(古典的レーヨン羽二重)

  文化的背景(2)

(続)
そのようなカーテン地のシャツは、確かに人気はあったが、
ハワイで着るには少し暖かすぎた。

トロピカル柄はとても需要があったので、
柄のモチーフはカーテンと比べると縮小され、
よりソフトでより快適な素材、
すなわちレーヨンにプリントされるようになった。

また、ハワイの歴史を取り上げるようなモチーフが
柄に加えられるようにもなった。

その結果、世界中のコレクターにはハワイアン・シャツとして知られているような、
明るくて派手なレーヨン製アロハシャツが、
戦後の1940年代後半に誕生したのである。

戦争が終わって軍人たちがハワイから故郷に戻るにつれて、
そして1950年代にかけて本土からハワイへの観光旅行が増えるにつれて、
明るい柄のレーヨン製アロハシャツは有名になっていった。

1940年代後半から50年代にかけてはハワイ観光の全盛期であった。

ハワイ柄の生地は、観光客向けと住民向けの両方のハワイ衣料で広く使われた。』



カーテン地のアロハシャツについて、前回のブログで、筆者の推測として、
「ハワイで着るには厚手すぎるように思えるので、
 発売後数年で消えていったのではないか」
と述べましたが、リンダ・アーサー氏も(消えたかどうかは言及していませんが)
「ハワイで着るには少し暖かすぎた」と述べています。

レーヨンのアロハシャツが出てきたのは、
カーテン地のアロハシャツが快適でなかったからという理由だけではない
(薄手のコットン地のアロハシャツもあったので)と思いますが、
ともかく、リンダ・アーサー氏は、
「戦後になってレーヨンのアロハシャツが出てきた」と述べています。

以前にも述べましたが、レーヨンの抜染プリント生地は、
ニューヨーク万博を記念したスカーフが作られていたことを見ても、
少なくとも1939年には存在していました。
そのためレーヨン抜染のアロハシャツは、
早ければ1939年には作られていてもおかしくはないわけです。

ハワイの新聞広告を改めてチェックしたところ、
1941年の「レーヨンのアロハブラウス」の広告が見つかりました。

A1941.03.28 リバティハウス.jpg

(筆者コレクションより)

「青地または赤地にハイビスカス」の柄で、
生地はレーヨンクレープになります。
クレープなので抜染ではありませんが、
1941年にはトロピカル柄のレーヨン製ブラウスが確かに存在しており、
リンダ・アーサー氏が言うように戦後まで存在しなかった、
というわけではないのです。




(次回に続く)

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