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ハワイの衣料品製造業の歴史 その268 1955年~56年 カジュアル・ウェアがハワイの生産を支配した(1) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]

ファンダバーク教授の本『ハワイの衣料品製造業の歴史』の翻訳をお届けしています。

この章「ハワイで製造される衣料品の種類」では、衣料品のタイプ別に語られており、
今回から、1955年~56年のカジュアル・ウェアについての記述になります。


『1955年~56年 カジュアル・ウェアがハワイの生産を支配した(1)

 1955年に披露されたハワイ製衣料品は、
その前年のものと大体同じスタイルであった。

また男性向けのアロハシャツやハワイアン・スポーツウェアの、
全生産量に占める割合は、戦後すぐに記録したほど高くはなかった。

一方、婦人服は、1956年までには
ハワイでの衣料品生産量の多くを占めるようになっていた。

このような戦後の発展は、
本土での販売とアロハ・ウィーク用の衣料品が増えたことに起因した。

 1955年の広告には次のようなタイプの衣料品が含まれていた。

バンカーズ・コート、トゥトゥムー、クーリー・コート、
シース(訳注:体にぴったりフィットするドレス)、ツーピースの水着、
サイド・ラップ・スカート、ティータイマー、パンツ・セット、
ジャンパー・ドレス、パケ・ジャケット、ロール・カラー・ブラウス、
サンドレス、ハッピ・コートなどである。』



今回の記述の中では
「(1955年の)男性向けのアロハシャツやハワイアン・スポーツウェアの、
 全生産量に占める割合は、戦後すぐに記録したほど高くはなかった」
という部分に着目したいと思います。

戦後すぐと言うのが、具体的に何年のことを指しているかは不明ですが、
仮に1940年代後半とすれば、その当時と比べて、
アロハシャツの割合が減り、目立たなくなってきた、と言うことのようです。

確かに、新聞や雑誌でアロハシャツを着ている人をチェックしてみても、
戦後すぐは、誰もがアロハシャツを着ていました。
アロハ・ウィークの影響が大きかったでしょう。
また、スポーツ選手もアロハシャツを着てプレーしていたようです。
例えばゴルフの選手が着ている写真が手元にあります。

1949.10.04.jpg

(1949年の新聞記事。筆者コレクションより)

一方、1955年になると、観光客が着ているのは相変わらずですが、
地元の人でアロハシャツを着ている人が少なくなっているように感じられます。
「アロハシャツ疲れ」のようなものがあったのかもしれませんね。



(次回に続く)

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