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ハワイの衣料品製造業の歴史 その237 1959年 著名な生地デザイナーがハワイを訪れた(3) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]

ファンダバーク教授の本『ハワイの衣料品製造業の歴史』の翻訳をお届けしています。

現在は、「戦中・戦後編」の章を少しずつ翻訳しているところです。
今回も引き続き、著名生地デザイナーのお話です。



『1959年 著名な生地デザイナーがハワイを訪れた(3)

  ”ジュリア・グランビーは昨年太平洋に照準を合わせ、
  ホノルルに立ち寄って、スケッチブックにハワイの断片を描いた。

  その後、新しいアイデアを探すために東洋に向かった。”

  ”その結果、たくさんの素晴らしいスケッチを描いた。
  蘭、ハイビスカス、東京で見つけた古い着物の柄、中国の花々、
  香港で出会ったアイデア、などなど。”

  ”今週、グランビー女史は、
  ハワイのメーカーやバイヤーたちがその中から選べるように細部の絵を仕上げて、
  ホノルルに戻った。

  彼らは配色を指定したり修正を要請したりすることができるのである。”

  ”その後、来シーズンにはその結果を目にすることだろう。

  シャツやムームーやサンドレスとなって、カラカウア通りを歩いているのを。”

  ”今年グランビー女史が持ち込んだデザインのいくつかは
  米の紙に描かれ、いくつかは草でできた布に描かれ、
  またあるものは古代の帯の布に描かれ、
  巨大な白い紙に水彩でたくさんの色鮮やかな花々が描かれている。

  積み重ねると6インチ(訳注:約15センチ)の高さがあり、
  どんな画廊もその絵に信用貸しするであろう。” 』



(次回に続く)

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