ハワイの衣料品製造業の歴史 その236 1959年 著名な生地デザイナーがハワイを訪れた(2) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]
ファンダバーク教授の本『ハワイの衣料品製造業の歴史』の翻訳をお届けしています。
現在は、「戦中・戦後編」の章を少しずつ翻訳しているところです。
前回から、著名生地デザイナーのお話です。
『1959年 著名な生地デザイナーがハワイを訪れた(2)
”彼女のスタジオはニューヨークにある。そして
彼女の製品、すなわちコーマ綿のプリント生地は、
コーン・ホール・マークス社の1事業部であるアメリテックス向けに
デザインされたものである。
彼女は2週間の滞在予定でワイキキにおり、ハワイを熱心に褒め称えている。”
”「私のプリントを着ている人が1か所にこれほどたくさんいるのを
見たことがありません。」と彼女は言って微笑んだ。”
”「ハワイは、来るととても興奮する場所ですね。
ハワイの衣料品メーカーは、
自分たちの市場にふさわしいものをとてもよく感じ取っています。
ハワイらしさ、ハワイをうまく表現した感覚をよく保っています。
この感じをよく保っているリゾート地を私はほかに知りません。」”
”芸術家であるグランビー女史は数年前、
残りの人生を画板の前にただ座って過ごすことには興味がないことに気付き、
それよりもアイデアの火花を散らしたいと思った。”
”アメリテックスのために18年働いた今、
彼女は、家で、あるいは世界の旅先で彼女が思いついたアイデアを形にしてくれる
25人の絵描きのスタッフを抱えている。
彼女は1年先のことを考えて、生地を選び、プリントの種類や色を選んでいる。” 』
アメリテックスは、アロハシャツ向けの、レーヨン抜染生地も手掛けており、
ジョン・メイグスが、アメリテックスのために絵を描いたとも語っています。
(ただ、どの柄がアメリテックスによるプリントかはわからないのですが)
(次回に続く)
現在は、「戦中・戦後編」の章を少しずつ翻訳しているところです。
前回から、著名生地デザイナーのお話です。
『1959年 著名な生地デザイナーがハワイを訪れた(2)
”彼女のスタジオはニューヨークにある。そして
彼女の製品、すなわちコーマ綿のプリント生地は、
コーン・ホール・マークス社の1事業部であるアメリテックス向けに
デザインされたものである。
彼女は2週間の滞在予定でワイキキにおり、ハワイを熱心に褒め称えている。”
”「私のプリントを着ている人が1か所にこれほどたくさんいるのを
見たことがありません。」と彼女は言って微笑んだ。”
”「ハワイは、来るととても興奮する場所ですね。
ハワイの衣料品メーカーは、
自分たちの市場にふさわしいものをとてもよく感じ取っています。
ハワイらしさ、ハワイをうまく表現した感覚をよく保っています。
この感じをよく保っているリゾート地を私はほかに知りません。」”
”芸術家であるグランビー女史は数年前、
残りの人生を画板の前にただ座って過ごすことには興味がないことに気付き、
それよりもアイデアの火花を散らしたいと思った。”
”アメリテックスのために18年働いた今、
彼女は、家で、あるいは世界の旅先で彼女が思いついたアイデアを形にしてくれる
25人の絵描きのスタッフを抱えている。
彼女は1年先のことを考えて、生地を選び、プリントの種類や色を選んでいる。” 』
アメリテックスは、アロハシャツ向けの、レーヨン抜染生地も手掛けており、
ジョン・メイグスが、アメリテックスのために絵を描いたとも語っています。
(ただ、どの柄がアメリテックスによるプリントかはわからないのですが)
(次回に続く)
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