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ハワイの衣料品製造業の歴史 その235 1959年 著名な生地デザイナーがハワイを訪れた(1) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]

ファンダバーク教授の本『ハワイの衣料品製造業の歴史』の翻訳をお届けしています。

現在は、「戦中・戦後編」の章を少しずつ翻訳しているところです。
今回から新しい話題に移ります。



『1959年 著名な生地デザイナーがハワイを訪れた(1)

  ハワイの衣料品製造業が成長し、より多くのプリント生地が必要となるにつれて、 
 本土の多くの生地会社がハワイ地域から
 デザインのインスピレーションを得ようとしていた。

 何人かの生地デザイナーは断続的にハワイを訪れていたが、
 その中で最も頻繁に訪れ、最も有名な人の1人は
 ジュリア・モリス・グランビー女史である。

 1959年2月のホノルル・アドヴァタイザー紙にドルー・ライトルが、
 グランビー女史の、ハワイ訪問と生地デザインの作品に関する特集記事を書いた。

 その記事は次の通り。

  ”ジュリア・モリス・グランビーは、
  自分の家にありそうなコットン・プリントに別の人の名前があっても
  気にしない女性である。”

  ”それどころか彼女はそういうプリント生地を愛しさえするのである。”

  ”彼女がデザインしたプリントの服を着る女性が多ければ多いほど、
  彼女はより幸せなのである。

  国中の繊維工場で作られる多くのかわいい柄の中に、彼女のプリントは、
  それこそ何百万ヤードもある。”

  ”上品に見えるグランビー女史は、
  「米国で最も高額な報酬が支払われる生地デザイナーの1人であり、
  この分野でおそらく頂点に立つ女性であろう」と、
  ある会社のホノルルでの代理人を務めるレオ・イスラエルは言った。” 』



ジュリア・モリス・グランビーは、
「かわいい柄」を描くテキスタイル・デザイナーのようなので、
アロハシャツの話とは少し違うかもしれませんが、
広い意味でハワイの衣料品製造業の話なので、
当時のテキスタイル・デザイナーの様子などもわかるでしょうから、
どうぞしばらくお付き合いください。


なお、ここに出てくるレオ・イスラエルという人は、
戦前から「アメリカン・ファクターズ」社
(ハワイ準州のビッグ5の1つ)の代理人を務め、
本土からプリント生地を輸入するような仕事をしていたようです。
当然、アロハシャツの生地についても詳しいため、
デール・ホープ氏もインタビューしています。



(次回に続く)

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