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ハワイの衣料品製造業の歴史 その234 1959年 衣料品メーカーは100万ドルのプリント生地を縫う(10) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]

ファンダバーク教授の本『ハワイの衣料品製造業の歴史』の翻訳をお届けしています。

現在は、「戦中・戦後編」の章を少しずつ翻訳しているところです。
今回も引き続き、同じ新聞記事の引用部分が続きます。



『1959年 衣料品メーカーは100万ドルのプリント生地を縫う(10)

  ”「ファッションの世界は広いので、米国市場に留まるつもりはありません。
  リゾート地があるところならどこででも
  我々は売り上げを伸ばせる可能性があるのです。」”

  ”ハワイの州昇格に付随する広告宣伝が、
  「我が社の広告宣伝予算をさらに100万ドル増やそうとしています。
  そして世界中の興味はピラミッド状に大きくなっています」と
  シャヒーンは見積もっている。”

  ”彼は、さまざまな要因がハワイの衣料品産業の成長を後押しすると言う。

  すなわち、くだけた暮らし方を好む方向へと向かう全国的な流れや、
  「くつろいだ」娯楽や、
  かしこまった暮らし方をよしとする古臭い保守主義に反対するような、
  より派手な色のプリント生地を求める声などである。”

  ”「我々は手工芸や熟練職人を昔のように大切にしようとしています。
  我が社の製品が持つ、品質上の個性を残していきたいし、それを訴えたいのです。」”




(次回に続く)

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