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ハワイの衣料品製造業の歴史 その217 1950年 ハワイの1産業、生地プリント(20) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]

ファンダバーク教授の本『ハワイの衣料品製造業の歴史』の翻訳をお届けしています。

現在は、「戦中・戦後編」の章を少しずつ翻訳しているところです。
今回も引き続き「ハワイの生地プリント産業」の部分をご紹介します。



『1950年 ハワイの1産業、生地プリント(20)

  衣料品製造業に関する記事がいくつかある中で、
 ヴォン・ハム・ヤング社の生地分野での活動を論じた以下の記事が
 1958年8月のホノルル・アドヴァタイザー紙に載った。

 ヴォン・ハム・ヤング社は1953年頃に生地の卸ビジネスに参入し、
 1956年頃にハワイアン・プリントに特化するようになったと
 その記事は述べている。

 そして、ハワイでハンド・スクリーン・プリントされた同社の生地は、
 1958年にはアルフレッド・シャヒーン株式会社によるプリントとなっていた。

  ”極東からの反物は神秘的な魅力を増している

  ”ハワイアン・プリントの反物をハワイの衣料品メーカーに供給することは
  1つのビジネスであり、あるいは少なくとも、
  ハワイの衣料品卸業界における、かなりの大きさの提携である。”

  ”ハワイ製のスポーツウェア、カジュアルウェア、ムームー、子供服に使われる
  プリント生地の大半は、日本や米国本土で製造されるが、
  いくらかはハワイでプリントされ、染められている。”

  ”ヴォン・ハム・ヤング社は、ハワイの衣料品メーカーへの生地の
  最大のサプライヤーのうちの1社であるが、
  反物の在庫を40万ドル分抱えている。

  柄は、ハワイ柄、オリエンタル柄、トロピカル柄であり、
  その柄のデザインは、ハワイの絵描き、
  日本や米国本土のテキスタイル・デザイナー、
  そしてフリーランスのデザイナーが行っている。”

  ”「我々は常に新しいデザインを探しています。」と、
  同社のガンター・ヴォン・ハムは言う。”

  ”地元メーカーが承認し注文した彼らのデザインには全て、
  ハワイアン・テキスタイルズという名前が付けられ、
  「ハワイで創作された」と記されたレーベルが付けられる。”

  ”「我々はまず最初に衣料品メーカーに、その次に小売店に提供します。」と
  ヴォン・ハムは言った。

  「ハワイアン・テキスタイルズの製品は生地小売店に並んでいますが、
  もし、ある衣料品メーカーが特定の柄に独占的な注文を最初に出したなら
  店頭には並びません」”』




ヴォン・ハム・ヤング社は1953年頃に生地の卸ビジネスに参入し、
1956年頃にハワイアン・プリントに特化し、
1958年にはアルフレッド・シャヒーン株式会社にプリントを委託していた、
というかなり重要な事実がわかりました。


ヴォン・ハム・ヤング社はハワイ最大のコンバーターでした。
米国系(白人系)コンバーターなので、
当然本土のプリント工場から調達していたものと筆者は考えていましたが、
(一部だとは思いますが)アルフレッド・シャヒーン社からも調達していたわけです。
認識を新たにしました。


ちなみに、この人 ↓ がガンター・ヴォン・ハム氏です。

ガンター・ヴォン・ハム.jpg

(筆者コレクションより)

彼はこのあと1960年代に独立して、G・ヴォン・ハムというコンバーターを設立します。


また文中に「ハワイアン・テキスタイルズという名前が付けられ」と書かれているのは、
生地の耳にプリントされた、↓ このような文字のことです。

VHY耳字.jpg





(次回に続く)

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