ハワイの衣料品製造業の歴史 その218 1950年 ハワイの1産業、生地プリント(21) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]
ファンダバーク教授の本『ハワイの衣料品製造業の歴史』の翻訳をお届けしています。
現在は、「戦中・戦後編」の章を少しずつ翻訳しているところです。
今回も引き続き「ハワイの生地プリント産業」の部分をご紹介します。
(1958年8月のホノルル・アドヴァタイザー紙に載った、
ヴォン・ハム・ヤング社の生地分野での活動を論じた記事からの抜粋の続きです)
『1950年 ハワイの1産業、生地プリント(21)
”ヴォン・ハム・ヤング社は5年前(訳注:1953年)に
プリント生地の卸分野に参入し、
2年前(訳注:1956年)にハワイアン・プリントに特化するようになった。
ハワイでハンド・スクリーン・プリントされた同社の生地は、現在、
アルフレッド・シャヒーン株式会社によってプリントされ染められている。”
”「ハワイの衣料品メーカーだけでなく、我々は、
ハワイアン・プリントのようなハワイ製品に関心を持つ
本土の衣料品メーカーとも取引している。」とヴォン・ハムは言った。”
”ワットムルス・ストアーズはプリント生地の小売りも少ししているが、
ワットムルスの反物ビジネスの大半は、彼らの子会社の衣料品メーカー、
ロイヤル・ハワイアン社に、
アロハシャツなどを作るのに使うシルクやコットンのプリント生地を
提供することである。”
”約50人の縫子が、フォート通りのワットムル・ストア・ビルの最上階にある
ロイヤル・ハワイアン社の工場で働いている。
日本や米国でプリントされた大量のコットンやシルクのプリント生地、
インドから輸入したシルク生地やサリーの生地、
香港から輸入した金襴織物などが、工場の棚に収められている。
同社が作るものは、コットンの水着から
白いサリーのウェディング・ガウンまで幅広い。”
”(ロイヤル・ハワイアンの工場から下の階にある)メインフロアに降りてみると、
客が生地を買っている場面に遭遇するかもしれないが、
ワットムルスは、生地の小売ビジネスでは、
(ハワイアン・プリントではなく)インド産コットン生地、
バティック・プリント生地、シルクとコットンのサリー生地、
手刺しゅうされたミラー・クロスに特化している。” 』
ヴォン・ハム・ヤング社は、ハワイの衣料品メーカーだけでなく、
「ハワイアン・プリントを欲しがる本土の衣料品メーカーとも取引している」
とのことです。
おそらく、1950年前後の、ハワイアン・プリントのブームが去ったあと、
本土のコンバーターはハワイアン・プリントをそれほど作らなくなったでしょうし、
一方、主に西海岸のメーカーなどは、
ハワイ柄の服を(少量かもしれませんが)作りたがっていたでしょうから、
ある程度の需要はあったのでしょう。
一方、ワットムルスの話が出てきますが、
「日本や米国でプリントされた大量のコットンやシルクのプリント生地」と
書かれている部分に反応してしまいます。
1958年時点では、米国製のレーヨン生地や、日本製の壁縮緬生地は
それほど多くなかったのでしょうか?
確かに1958年の新聞広告を見ると、
コットンのアロハシャツが圧倒的に多く、シルクのアロハシャツも少しあり、
レーヨンや縮緬のアロハシャツはほとんど出てこないようなので、
整合性のある証言という気もします。
例えば、こちら ↓ は、ワットムルスの広告ではありませんが、
1958年の小売店の新聞広告になります。
セール価格で売られているので、数年前の商品の可能性はありますが、
「オリエンタルな柄」というのは和柄のことでしょう。
全く同じではありませんが、似たようなシャツが、こちらです。
(2点共筆者コレクションより)
カハラの、「茶道具」柄の、コットン製アロハシャツになります。
ものの大きさや、散らし方が似ていますよね。
(次回に続く)
現在は、「戦中・戦後編」の章を少しずつ翻訳しているところです。
今回も引き続き「ハワイの生地プリント産業」の部分をご紹介します。
(1958年8月のホノルル・アドヴァタイザー紙に載った、
ヴォン・ハム・ヤング社の生地分野での活動を論じた記事からの抜粋の続きです)
『1950年 ハワイの1産業、生地プリント(21)
”ヴォン・ハム・ヤング社は5年前(訳注:1953年)に
プリント生地の卸分野に参入し、
2年前(訳注:1956年)にハワイアン・プリントに特化するようになった。
ハワイでハンド・スクリーン・プリントされた同社の生地は、現在、
アルフレッド・シャヒーン株式会社によってプリントされ染められている。”
”「ハワイの衣料品メーカーだけでなく、我々は、
ハワイアン・プリントのようなハワイ製品に関心を持つ
本土の衣料品メーカーとも取引している。」とヴォン・ハムは言った。”
”ワットムルス・ストアーズはプリント生地の小売りも少ししているが、
ワットムルスの反物ビジネスの大半は、彼らの子会社の衣料品メーカー、
ロイヤル・ハワイアン社に、
アロハシャツなどを作るのに使うシルクやコットンのプリント生地を
提供することである。”
”約50人の縫子が、フォート通りのワットムル・ストア・ビルの最上階にある
ロイヤル・ハワイアン社の工場で働いている。
日本や米国でプリントされた大量のコットンやシルクのプリント生地、
インドから輸入したシルク生地やサリーの生地、
香港から輸入した金襴織物などが、工場の棚に収められている。
同社が作るものは、コットンの水着から
白いサリーのウェディング・ガウンまで幅広い。”
”(ロイヤル・ハワイアンの工場から下の階にある)メインフロアに降りてみると、
客が生地を買っている場面に遭遇するかもしれないが、
ワットムルスは、生地の小売ビジネスでは、
(ハワイアン・プリントではなく)インド産コットン生地、
バティック・プリント生地、シルクとコットンのサリー生地、
手刺しゅうされたミラー・クロスに特化している。” 』
ヴォン・ハム・ヤング社は、ハワイの衣料品メーカーだけでなく、
「ハワイアン・プリントを欲しがる本土の衣料品メーカーとも取引している」
とのことです。
おそらく、1950年前後の、ハワイアン・プリントのブームが去ったあと、
本土のコンバーターはハワイアン・プリントをそれほど作らなくなったでしょうし、
一方、主に西海岸のメーカーなどは、
ハワイ柄の服を(少量かもしれませんが)作りたがっていたでしょうから、
ある程度の需要はあったのでしょう。
一方、ワットムルスの話が出てきますが、
「日本や米国でプリントされた大量のコットンやシルクのプリント生地」と
書かれている部分に反応してしまいます。
1958年時点では、米国製のレーヨン生地や、日本製の壁縮緬生地は
それほど多くなかったのでしょうか?
確かに1958年の新聞広告を見ると、
コットンのアロハシャツが圧倒的に多く、シルクのアロハシャツも少しあり、
レーヨンや縮緬のアロハシャツはほとんど出てこないようなので、
整合性のある証言という気もします。
例えば、こちら ↓ は、ワットムルスの広告ではありませんが、
1958年の小売店の新聞広告になります。
セール価格で売られているので、数年前の商品の可能性はありますが、
「オリエンタルな柄」というのは和柄のことでしょう。
全く同じではありませんが、似たようなシャツが、こちらです。
(2点共筆者コレクションより)
カハラの、「茶道具」柄の、コットン製アロハシャツになります。
ものの大きさや、散らし方が似ていますよね。
(次回に続く)
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