SSブログ

ハワイの衣料品製造業の歴史 その200 1950年 ハワイの1産業、生地プリント(3) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]

ファンダバーク教授の本『ハワイの衣料品製造業の歴史』の翻訳をお届けしています。

現在は、「戦中・戦後編」の章を少しずつ翻訳しているところです。
今回も前回に引き続き「ハワイの生地プリント産業」についてご紹介します
(この本の翻訳も、今回でついに200回を数えることになりました。
 なかなか進まない翻訳に長いことお付き合いくださり誠にありがとうございます)。



『1950年 ハワイの1産業、生地プリント(3)

  ハワイの衣料品メーカーの間でスクリーン・プリントが
 次第に好まれるようになったもう1つ別の理由は、
 より鮮やかなプリントが得られるからである。

 しかも、スクリーン・プリントなら、1つのプリント柄に、
 より多くの色と、より多くの色の陰影を盛り込めるからでもある。

  スクリーン・プリントされた生地が
 次第に好まれるようになったという観点で言えば、
 ハワイの衣料品産業向けの生地プリントの調達元は1950年代に変化した。

 すなわち、ローラー・プリントによる生地を本土から入れるのではなく、
 スクリーン・プリントによる生地を日本から入れるようになったのである。

 ハワイ市場に生地を供給するコーン・ホール・マークス(訳注:通称コハマ)のような
 本土の大手生地コンバーター数社は、
 ハワイで販売される多くの生地をスクリーン・プリントするために日本へと目を向けた。』



多少の例外はもちろんありますが、非常に大雑把に、簡略化して言えば、

米国本土/ローラー・プリント/レーヨンに抜染
 → 日本/スクリーン・プリント/レーヨン縮緬にオーバープリント

という転換が、1950年頃に起こった、ということになります。


この転換を、実物のアロハ(ランドオブアロハ)で言えば、

i-img600x600-1596517689ixgjya1981751.jpg

https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/s761623071

(kaizuka_next51さんの出品物より引用)

 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓

vintagehunting_kyoto-img489x600-12791844317y2ym753115.jpg 

https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/138259091

(vintagehunting_kyotoさんの出品物より引用)

へ変化した(抜染からオーバープリントへ)ということになります。


そしてその理由は、
 1)少量のプリントに対応しているから
 2)より鮮やかで、使える色数も多く、陰影もつけやすいから
と述べられています。

陰影というのは、例えば ↓ こんな感じ(波の陰影)です。

i-img1024x767-1582730881pkc52e439089.jpg


日本の捺染技術の高さが、ヴィンテージアロハシャツを支えていたというお話です。



(次回に続く)

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:ファッション

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。