ハワイの衣料品製造業の歴史 その201 1950年 ハワイの1産業、生地プリント(4) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]
ファンダバーク教授の本『ハワイの衣料品製造業の歴史』の翻訳をお届けしています。
現在は、「戦中・戦後編」の章を少しずつ翻訳しているところです。
今回も前回に引き続き「ハワイの生地プリント産業」の部分をご紹介します。
『1950年 ハワイの1産業、生地プリント(4)
日本から買うスクリーン・プリント生地の分量を増やすという流れは、
日本のコンバーターと直接取引する生地ディーラー数社が
ホノルル市場に参入したことで、より強まった。
1960年代に入り、ヴォン・ハム・ヤング(訳注:ハワイの輸入商社)の繊維部門、
ハワイアン・テキスタイルズが、
ハワイにある自社のアトリエでデザインし、
日本でスクリーン・プリントした生地を販売するようになって、
ハワイの衣料品メーカーは、日本製のスクリーン・プリント生地を
ますます使うようになった。
1964年現在(訳注:本書執筆年)、
ハワイの衣料品メーカーが使うハワイ柄のプリント生地は、
日本製のスクリーン・プリント生地となっている。
ハワイ柄生地のうち、日本でプリントされたもの以外で主に使われているのは、
アルフレッド・シャヒーン株式会社がプリントしたものである。
同社はスクリーン・プリントされた生地の大部分を、
ホノルルにある、衣料品工場と一体となった自社のプリント工場から調達している。』
まず、ハワイアン・テキスタイルズが、
「ハワイにある自社のアトリエでデザインし、
日本でスクリーン・プリントした生地を販売」
していたことは、今回初めて知りました。
ハワイには当時日系のコンバーター(Sハタやジャパンシルクなど)が数社あったため、
米国系のハワイアン・テキスタイルズは、
本土のプリント工場から調達していた(しかもデザインも任せていた)と
筆者は考えていました。
ところが、ハワイに自社のアトリエがあり、
しかもプリントは日本で行っていたわけです。
強みは、ハワイのアトリエで(おそらく米国人が)デザインしていた点でしょうか?
ヴィンテージアロハシャツの中に、
「VHY」と書かれた生地を使ったものがときどきあります。
手元にシャツの画像はありませんが、
生地の耳の画像がありましたのでご紹介します。
http://revivalfabrics.blogspot.com/2013/02/vintage-hawaiian-fabrics-selvage.html
(RevivalFabrics.com blogより引用)
コットンサテンのパレオ柄なので、1960年代半ば頃のものと推測します。
本文で言及されている「1964年」と同時期と言っていいと思います。
ハワイのほとんどのメーカーが日本製生地を使っていたのですが、
ほぼ唯一の例外がアルフレッド・シャヒーンの生地だった、というわけです。
(筆者コレクションより)
アルフレッド・シャヒーンのプリント工場の詳しい話はこの後出てくるかもしれません。
今回はこの辺で。
(次回に続く)
現在は、「戦中・戦後編」の章を少しずつ翻訳しているところです。
今回も前回に引き続き「ハワイの生地プリント産業」の部分をご紹介します。
『1950年 ハワイの1産業、生地プリント(4)
日本から買うスクリーン・プリント生地の分量を増やすという流れは、
日本のコンバーターと直接取引する生地ディーラー数社が
ホノルル市場に参入したことで、より強まった。
1960年代に入り、ヴォン・ハム・ヤング(訳注:ハワイの輸入商社)の繊維部門、
ハワイアン・テキスタイルズが、
ハワイにある自社のアトリエでデザインし、
日本でスクリーン・プリントした生地を販売するようになって、
ハワイの衣料品メーカーは、日本製のスクリーン・プリント生地を
ますます使うようになった。
1964年現在(訳注:本書執筆年)、
ハワイの衣料品メーカーが使うハワイ柄のプリント生地は、
日本製のスクリーン・プリント生地となっている。
ハワイ柄生地のうち、日本でプリントされたもの以外で主に使われているのは、
アルフレッド・シャヒーン株式会社がプリントしたものである。
同社はスクリーン・プリントされた生地の大部分を、
ホノルルにある、衣料品工場と一体となった自社のプリント工場から調達している。』
まず、ハワイアン・テキスタイルズが、
「ハワイにある自社のアトリエでデザインし、
日本でスクリーン・プリントした生地を販売」
していたことは、今回初めて知りました。
ハワイには当時日系のコンバーター(Sハタやジャパンシルクなど)が数社あったため、
米国系のハワイアン・テキスタイルズは、
本土のプリント工場から調達していた(しかもデザインも任せていた)と
筆者は考えていました。
ところが、ハワイに自社のアトリエがあり、
しかもプリントは日本で行っていたわけです。
強みは、ハワイのアトリエで(おそらく米国人が)デザインしていた点でしょうか?
ヴィンテージアロハシャツの中に、
「VHY」と書かれた生地を使ったものがときどきあります。
手元にシャツの画像はありませんが、
生地の耳の画像がありましたのでご紹介します。
http://revivalfabrics.blogspot.com/2013/02/vintage-hawaiian-fabrics-selvage.html
(RevivalFabrics.com blogより引用)
コットンサテンのパレオ柄なので、1960年代半ば頃のものと推測します。
本文で言及されている「1964年」と同時期と言っていいと思います。
ハワイのほとんどのメーカーが日本製生地を使っていたのですが、
ほぼ唯一の例外がアルフレッド・シャヒーンの生地だった、というわけです。
(筆者コレクションより)
アルフレッド・シャヒーンのプリント工場の詳しい話はこの後出てくるかもしれません。
今回はこの辺で。
(次回に続く)
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