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ハワイの衣料品製造業の歴史 その190 1950年 ハワイのテキスタイル・デザイン(10) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]

ファンダバーク教授の本『ハワイの衣料品製造業の歴史』の翻訳をお届けしています。

現在は、「戦中・戦後編」の章を少しずつ翻訳しているところです。
今回も引き続き、「ハワイのテキスタイル・デザイン」という話題で、
その中の「コンバーター」についての記事を紹介した部分になります。



『1950年 ハワイのテキスタイル・デザイン(10)

 本土のコンバーターとテキスタイル・デザイン(3)

   ”「ここハワイの人々は色に対する素晴らしいセンスを持っています。」と
   バーンズ女史は説明した。

   「そして、私がハワイの服飾メーカーのために
   テキスタイル・デザインをする際はいつも、
   太陽の輝きと熱帯の環境を念頭に置いています。」”

   ”「近頃はスタイリングが非常に重要です。」と彼女は強調し、
   ホノルルという街は自分がこれまで見てきたあらゆる街の中で
   最もおしゃれなスポーツウェアを提供していると、自身の観察から信じている。”

   ”「ホノルルに来る人はみなさん、服を買うのはホノルルに着くまで、
   間違いなく待つべきです。」と彼女は言った。

   ホノルルの店々が最新のファッションをよく取り揃えているためというだけでなく、
   旅行者でもオーダーメードの服を数日で作れるためでもある。”

   ”今回が彼女の初めてのホノルル訪問である。”

   ”「私は今回のホノルル旅行を心から歓迎しています。」と彼女は我々に言った。

   「なぜなら、これまでやってきたデザインで
   私が犯したかもしれない間違いをただす素晴らしい機会を
   私に与えてくれたからです。

   そしてまた、旅行中、デザインのアイデアを
   とてもたくさん見ることができるからです。
   デザインのアイデアは文字通り、いたるところにあるのです。」” 』




ドロシー・バーンズ女史へのインタビュー記事をまとめた
「本土のコンバーターとテキスタイル・デザイン」という副項目は今回で終わりです。
次回からはまた別の副項目が始まります。
お楽しみに。

(次回に続く)

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