ハワイの衣料品製造業の歴史 その191 1950年 ハワイのテキスタイル・デザイン(11) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]
ファンダバーク教授の本『ハワイの衣料品製造業の歴史』の翻訳をお届けしています。
現在は、「戦中・戦後編」の章を少しずつ翻訳しているところです。
今回も、「ハワイのテキスタイル・デザイン」という話題ですが、
その中の「本土での人気ぶり」についての記事を紹介した部分になります。
『1950年 ハワイのテキスタイル・デザイン(11)
ハワイ柄プリント生地の本土での人気ぶり(1)
1950年代初頭のいくつかの記事は、
ハワイ柄プリント生地の本土での人気ぶりについて書いている。
1950年1月のホノルル・アドヴァタイザー紙に載った以下の記事は、
ハワイ柄プリント生地の、本土での販促活動に言及している。
”もしハワイ柄プリント生地が全国を席巻するなら、そして席巻する時には、
その販促活動を手助けする、かわいらしいハワイの女性の一団を
少しは信用できるであろう。”
”その中には、レキシントン・ホテルの
チャイナ・ドール・アンド・ホノルル・メイズ
(訳注:詳細不明。当時の歌手または踊り子のグループの名前だろうか)の
女性たちもいた。
彼女たちは、スペクトラム・ファブリック・コープが
五番街のオフィスで催したパーティを手伝うために集まってきたのである。”
”そのパーティは、全米から来たバイヤーたちに、
同社のハワイ柄生地の新作を売り込むために催された。”
”多くの招待客の中には、メトロポリタン・オペラのスター、
ラウリッツ・メルヒオール(訳注:デンマーク出身のテノール歌手)がいた。
ちなみに彼はドレープ・ザ・モデル・コンテスト(訳注:詳細不明)に出場した。”
”また、ワットムルス・イースト・インディア・ストア向けの
プリント柄をデザインした、ホノルルのM・バーンズ女史も
そのパーティに出席していた。” 』
(1950年1月の新聞記事に取り上げられているのでその前年の)1949年には、
本土のプリント生地メーカー(コンバーター)が「ハワイ柄プリント生地」を、
「流行のもの」として販促活動に力を入れていることがこの記事からもよくわかります。
筆者が以前から何度も述べていることですが、新聞広告を見る限りでは、
「1950年」に、実に様々な柄のアロハシャツが売り出されており、
しかも、「パンナム柄」や「ココナッツクライマー柄」のような、
現在「有名柄」として知られる柄が多く含まれているため、
この年が質・量ともにピークなのではないかと筆者は考えています。
(2点共 https://thehanashirtco.com より引用)
1949年に、本土でハワイ柄生地が大量にプリントされ、
それがアロハシャツとなって1950年に発売された、と考えると、
筆者の考えも、あながち間違いとも言えないのではないでしょうか?
(次回に続く)
現在は、「戦中・戦後編」の章を少しずつ翻訳しているところです。
今回も、「ハワイのテキスタイル・デザイン」という話題ですが、
その中の「本土での人気ぶり」についての記事を紹介した部分になります。
『1950年 ハワイのテキスタイル・デザイン(11)
ハワイ柄プリント生地の本土での人気ぶり(1)
1950年代初頭のいくつかの記事は、
ハワイ柄プリント生地の本土での人気ぶりについて書いている。
1950年1月のホノルル・アドヴァタイザー紙に載った以下の記事は、
ハワイ柄プリント生地の、本土での販促活動に言及している。
”もしハワイ柄プリント生地が全国を席巻するなら、そして席巻する時には、
その販促活動を手助けする、かわいらしいハワイの女性の一団を
少しは信用できるであろう。”
”その中には、レキシントン・ホテルの
チャイナ・ドール・アンド・ホノルル・メイズ
(訳注:詳細不明。当時の歌手または踊り子のグループの名前だろうか)の
女性たちもいた。
彼女たちは、スペクトラム・ファブリック・コープが
五番街のオフィスで催したパーティを手伝うために集まってきたのである。”
”そのパーティは、全米から来たバイヤーたちに、
同社のハワイ柄生地の新作を売り込むために催された。”
”多くの招待客の中には、メトロポリタン・オペラのスター、
ラウリッツ・メルヒオール(訳注:デンマーク出身のテノール歌手)がいた。
ちなみに彼はドレープ・ザ・モデル・コンテスト(訳注:詳細不明)に出場した。”
”また、ワットムルス・イースト・インディア・ストア向けの
プリント柄をデザインした、ホノルルのM・バーンズ女史も
そのパーティに出席していた。” 』
(1950年1月の新聞記事に取り上げられているのでその前年の)1949年には、
本土のプリント生地メーカー(コンバーター)が「ハワイ柄プリント生地」を、
「流行のもの」として販促活動に力を入れていることがこの記事からもよくわかります。
筆者が以前から何度も述べていることですが、新聞広告を見る限りでは、
「1950年」に、実に様々な柄のアロハシャツが売り出されており、
しかも、「パンナム柄」や「ココナッツクライマー柄」のような、
現在「有名柄」として知られる柄が多く含まれているため、
この年が質・量ともにピークなのではないかと筆者は考えています。
(2点共 https://thehanashirtco.com より引用)
1949年に、本土でハワイ柄生地が大量にプリントされ、
それがアロハシャツとなって1950年に発売された、と考えると、
筆者の考えも、あながち間違いとも言えないのではないでしょうか?
(次回に続く)
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