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ハワイの衣料品製造業の歴史 その188 1950年 ハワイのテキスタイル・デザイン(8) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]

ファンダバーク教授の本『ハワイの衣料品製造業の歴史』の翻訳をお届けしています。

現在は、「戦中・戦後編」の章を少しずつ翻訳しているところです。
今回も引き続き、「ハワイのテキスタイル・デザイン」という話題ですが、
今回から「コンバーター」についてまとめた副項目が数回続きます。



『1950年 ハワイのテキスタイル・デザイン(8)

 本土のコンバーターとテキスタイル・デザイン(1)

   1950年3月のある記事の中で、アナベル・デーモンは、
  本土の、あるコンバーター(訳注:繊維問屋)から来た
  テキスタイル・デザイナーのホノルル訪問について書き、
  本土のコンバーター数社が当時のホノルルの市場に
  どのような影響を及ぼしているか、
  また、彼らがホノルルの市場を満足させるデザインを
  どのようにして作りうるかを例示している。

  その記事を以下に再現しておく。

   ”ニューヨークのコンバーター兼輸出業者、
   プレンティス・レーン株式会社のデザイナー、ドロシー・バーンズ女史は、
   ホノルルに滞在し、地元メーカーとの条件や仕事をじっくり見ていた。”

   ”「当社は主として土着的なデザインに興味があります」と彼女は我々に語った。
   「そして、メーカーごとの価格帯や、
   そのメーカーが生産する服の種類に合わせてそれぞれのデザインを行っています」”

   ”プレンティス・レーン提供の独占デザインを使っている、
   ニューヨークの有名デザイナーの中には、ティナ・レッサーもいる。

   彼女は以前はホノルルに住んでいたが、現在は頻繁にホノルルを訪れている。”

   ”「当社は未染色の生地から始め、その後、そこにデザインを載せていく」と
   バーンズ女史は言った。

   「当社がホノルルのメーカーのために行うすべてのデザインにおいて、
   当社は、プリント生地にたくさんの色を入れるために、
   メーカーと密接に仕事をしています」”

   ”プレンティス・レーンは、ハワイ以外の土地にある別のメーカーのために、
   スポーツウェアに使う柄も生産したが、
   その柄はそれほどカラフルではなかったともバーンズ女史は言った。” 』




「コンバーター」を簡単に「繊維問屋」と訳しておきましたが、
正確ではないので補足しておきます。

ジェリコ・コンサルティングの「流通用語辞典」にわかりやすく書かれています。
以下引用します。

コンバーター

米国の繊維業界で発達した独特な問屋業。原糸生産から始まって、紡績、染色、デザイン、
縫製、販売など繊維の生産から加工、販売までのさまざまな分野の業者を組織化し、
流行に合った製品の製造・販売のためのコントロール機能をもっている問屋のことをいう。
流行という極めて不確実な要素によって大きな影響を受けるとともに、
生産から加工・販売まで多工程を経る繊維業界ならではの問屋機能といえるが、
今後の問屋の流通機能における役割を示唆しているともいえる。
わが国の繊維業界においては、商社の一部や大規模問屋がコンバーター的役割を
果たしている例も見受けられるが、
完全なコンバーターに育つまでには至っていないのが現状である。



アロハシャツの発展にコンバーターは大きく寄与しています。
コンバーターについては、このあともしばしば出てくると思いますので、
記憶にとどめておいてください。



(次回に続く)

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