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ハワイの衣料品製造業の歴史 その179 1949年 ハワイ衣料品製造業組合は「ハワイ製品を買おう」と強く唱えた [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]

ファンダバーク教授の本『ハワイの衣料品製造業の歴史』の翻訳をお届けしています。

現在は、「戦中・戦後編」の章を少しずつ翻訳しているところです。
今回は、「ハワイ衣料品製造業組合は「ハワイ製品を買おう」と強く唱えた」という
話題になります。



『1949年 ハワイ衣料品製造業組合は「ハワイ製品を買おう」と強く唱えた

  以下のようなコメントが、1949年6月のホノルル・アドヴァタイザー紙に掲載された。

   ”ハワイ衣料品製造業組合は「ハワイ製品を買おう」と
   大衆に呼びかけるキャンペーンをまもなく始めるところである。
   組合長のナット・ノーフリートが昨日発表した。”

   ”ハワイでは毎日3000着の服が製造され、
   1着当たり平均4ドルで売られているという、彼が語った事実は、
   一般にはあまり知られていない。

   これはつまり年間約400万ドルのビジネスだということを意味する。

   これらの服を作るのに、
   約20のメーカーで400人以上の従業員が雇われており、
   彼らの給料は1年で100万ドル以上である。”

   ”「我々はこの人たちを雇い続けたいのです」と組合長は言った。
   「彼らは、アロハシャツから、男性、女性、子供の服に至るまで
   あらゆる服を作っています。

   15年前に始まったこの産業は現在も成長しており、
   コミュニティの支援を受けるに値すると私は思うのです」”

   ”服を買う際にはハワイ製の服を求めるよう消費者を教育する計画があると
   組合長は言った。”

   ”「この不景気の時代には、助け合うのが我々みんなにとっての義務なのです」と
   彼は言った。

   「衣料品製造業を含め、ハワイ製品を支援することで
   助け合うことができるのです」” 』



1949年時点でのハワイ衣料品製造業組合の組合長は「ナット・ノーフリート」であると
この記事に書かれています。
彼は、ブランフリート(のちにカハラに社名を変更)の共同創業者の1人です。
当時としては、それだけ大手で、有力なメーカーだったということでしょう。

Nat Norfleet & Duke Kahanamoku.jpg

Nat Norfleet.jpg

( Images of Old Hawaiʻi より引用)

今回、この新聞記事の抜粋を読んで、認識を新たにしたことは、
「ハワイ製品を買おう」というキャンペーンは、
不景気な時代に、ハワイ製品を買って支援することで、お互いに助け合う、
という趣旨のもとに始められたものだった、ということです。

筆者は、本土から来た観光客(もしくは本土に住む人々)に、
「ハワイ製品を買ってもらうためのキャンペーン」だと思っていましたが、
実は、どちらかというと、ハワイの人に向けたキャンペーンだったのですね。

「1949年が不景気の年」だという認識はあまりなかったのですが、
翌年に始まる朝鮮戦争で、1950年からの数年は、
基地のあるハワイは景気が良くなっていき、アロハシャツも売れていく
(それを反映して生産数も種類も増えていく)のだと思います。



(次回に続く)

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