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ハワイの衣料品製造業の歴史 その171 1948年 アロハ・ウィークが衣料品産業に影響を及ぼした(2) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]

ファンダバーク教授の本『ハワイの衣料品製造業の歴史』の翻訳をお届けしています。

現在は、「戦中・戦後編」の章を少しずつ翻訳しているところです。
今回は、「アロハ・ウィークが衣料品産業に影響を及ぼした」という話題の第2回で、
1948年10月のホノルル・スターブリトゥン紙に載った、
「アロハ・ウィークに触発されたドレス」のコレクションを、
ハワイ政府観光局が展示した、という記事に関する文章になります。



『1948年 アロハ・ウィークが衣料品産業に影響を及ぼした(2)

  ”アイリッシュ・リネンを使ったリゾート・ドレスのコレクション
  「素朴な太平洋」は、
  700名の招待客が出席したゾンタ・クラブ・ファッション・ショーで披露された。”

  ”そのドレスの1つは今週、全国放送のテレビショーで披露するため、
  ハリウッドに送られた。
  その番組はパンナムがスポンサーで、
  世界中のデザイナーのリゾート・ウェアを特集する番組である。”

  ”シルク・スクリーン・プリントされたドレスは、
  アロハ・ウィークへの、新しいファッション的なアプローチである。
  すなわち、祭りの週に着るのにふさわしい服であるのはもちろんのこと、
  おしゃれ着として一年中着るのにふさわしい服にもなっている。”

  1948年10月のサンフランシスコ・クロニクルに載ったある記事は、
 アロハ・ウィークのことを「ハワイの年間最優秀パーティ」と呼んだ。

 またその記事は、祭りの期間中にどのようなドレスを着るべきなのかについて、
 次のように書いている。

  ”落ち着いたビジネスマンなら、夏物スーツを脱いで、
  ハワイが王様に統治されていた時代の服に着替えるだろう。
  またその妻たちは、伝統的なムームー、すなわち、
  宣教師たちがハワイで見出した美しく魅力的な褐色の素肌を覆い隠すために
  彼らが持ち込んだ、ずん胴の服、を着るだろう。”

  ”もう少し若い女性なら、ホロク、すなわち、
  宣教師が提供したドレスの改訂版で、
  着る人がいかなる解剖学上の長所(訳注:胸やヒップの豊かさ)を
  持っていようともそれを完全に覆い隠してしまう、というほどではない
  (訳注:多少は体の線を見せるような)ドレス、を着るだろう。” 』





 サンフランシスコ・クロニクルに記事を書いた人は、
1948年のドレスコードとも言うべきものとして、
女性はムームー、若い女性はホロクを挙げている一方、
男性は「ハワイが王様に統治されていた時代の服」と書いています。
どのようなものを指しているかは定かではありません。

調べたことがないため詳しくはわかりませんが、
カメハメハ大王時代の正装というのは、麻のスーツのようなものでしょうか?
あるいはタパの腰蓑のようなもの、王族なら鳥の羽根のケープなどでしょうか?
いずれにしても、アロハシャツではないということになってしまいます。

しかしながら、この記事を書いた人が、単に歴史を知らなかっただけ
(カメハメハ大王時代もアロハシャツを着ていたと思っている)という可能性もあります。
実際、ホノルルの多くの店舗でアロハシャツを大々的に売り出しているところからも
アロハ・ウィークで男性が着るべき服はやはりアロハシャツだと考えるべきでしょう。



(次回に続く)


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