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ハワイの衣料品製造業の歴史 その170 1948年 アロハ・ウィークが衣料品産業に影響を及ぼした(1) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]

ファンダバーク教授の本『ハワイの衣料品製造業の歴史』の翻訳をお届けしています。

現在は、「戦中・戦後編」の章を少しずつ翻訳しているところです。
今回は、「アロハ・ウィークが衣料品産業に影響を及ぼした」という話題の、第1回になります。



『1948年 アロハ・ウィークが衣料品産業に影響を及ぼした(1)

  1948年11月のホノルル・スターブリトゥン紙に載ったある記事は、
 アロハ・ウィークが小売りに及ぼした影響の大きさについて述べている。

 その記事の一部は以下の通りである。

  ”ホノルルの衣料品小売店は今週、スポーツシャツ、ホロク、ムームー、
  そして熱帯柄のプリント生地の販売急増を経験した。”

  ”この販売急増から見えてくるのは、ハワイ中の人が、
  アロハ・ウィークの期間中は仕事でも遊びでも、
  そのような服を着るのを楽しむのだろうということである。”

  1948年10月のホノルル・スターブリトゥン紙に載った別の記事は、
 「アロハ・ウィークに触発されたドレス」のコレクションを、
 ハワイ政府観光局が展示したことについて述べている。

 その記事を以下に再掲載する。

  ”ハワイ政府観光局は現在、そのショーウィンドウに、
  ホノルルの有能な若手デザイナー、マリオンが創作した、
  アロハ・ウィークに触発されたドレスを飾っている。” 』



アロハ・ウィークは1946年に始まったイベントで、
ハワイの歴史や文化を実感させるいろいろな出し物を披露しました。
これがあったからこそ、その時に着るのにふさわしい衣装として、
アロハシャツやムームーやホロクが定着していったとも言える、
非常に重要なイベントなのです。
(現在は「アロハ・フェスティバル」という名前で、同様のイベントが行われています)

1948年と言えば、アロハ・ウィークがそろそろ定着し始めた頃でしょうか(3回目)?

筆者が集めた新聞広告のコピーの中から、
1948年のアロハ・ウィークに関するものをお見せします。

クレイマーズ 1948年広告.jpg

(筆者コレクションより)

DSCN7913.JPG

(クレイマーズの1950年代の織ネーム。筆者コレクションより)

この広告を見ると、筆者としては、
「アロハ・ボウタイ」のほうが気になります。
果たしてどんなものだったのでしょうか?
(ハワイ柄のプリント生地を使ったボウタイだというのは想像がつきますが、
 では、どんな柄だったのでしょうか? そして素材は? シルクでしょうか?)
筆者はまだ実物を見たことがないので、ぜひ見てみたいものです。

1948年と言えば、仕事でアロハシャツを着るのは、
部署によってはまだまだ難しい時代だったでしょうから、
そのような部署の人(スーツを着るような仕事の人)がアロハ・ウィーク期間中に、
気分だけでも味わえるようにと「アロハ・ボウタイ」を売っていた、
(クレイマーズは正統派のスーツ屋さんです)と考えれば、
納得がいきますね。

そしてその後は次第に、アロハシャツを仕事で着ることに社会の抵抗感が薄れていき、
(最近の日本のクールビズのような感じ)、
アロハ・ボウタイも必要とされなくなった、
つまり歴史上、非常に短い時期しか作られなかった(2~3年?)ため、
現存数が非常に少ないのかもしれません。

そのようなことはともかくとしても、
新聞広告を見るといろいろなことがわかるので非常に貴重ですし、
またいろいろなことを想像させてくれるので見るのが非常に楽しいです。


それではまた。


(次回に続く)

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