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ハワイの衣料品製造業の歴史 その172 1948年 アロハ・ウィークが衣料品産業に影響を及ぼした(3) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]

ファンダバーク教授の本『ハワイの衣料品製造業の歴史』の翻訳をお届けしています。

現在は、「戦中・戦後編」の章を少しずつ翻訳しているところです。
今回は、「アロハ・ウィークが衣料品産業に影響を及ぼした」という話題の第3回です。




『1948年 アロハ・ウィークが衣料品産業に影響を及ぼした(3)

  1948年10月のヤング・ハワイ誌に載ったある記事は、
 アロハ・ウィークのドレスを次のように書いている。

  ”タイプライターの速記者は、
  明るい花柄のムームーやホロク(ハワイ伝統の長裾のドレス)をするりと着る。

  ウェートレスや女性店員は、プルメリアの花を髪にピン留めし、
  ハイビスカスの花を胸にピン留めする、
  あるいは、プルメリアやカーネーションのレイを素肌の肩に掛ける。”

  ”銀行家やベルボーイは、アロハ・ウィークの日中と祭りのある夜は毎日、
  ビジネス・スーツや制服を着るのをやめ、
  多色のタパ柄のアロハシャツをカラフルに組み合わせる。”

 1948年8月のハワイアナ誌に載った告知には、次のような一節があった。

  ”11月14日から21日までのアロハ・ウィーク、「ハワイのマルディ・グラ」、
  本物のハワイの歴史と文化を満喫する7日間。

  花と提灯の行列、大集団のフラ、歌と娯楽の祭典、本物のハワイの村、
  祭りの公式な正装であるアロハ服は、
  この祭りを、真に偉大なハワイの儀式にする。”

  アロハ・ウィークに着る服に関する多くの広告が、
 アロハ・ウィークの前と期間中に、地元紙に載った。

 その文面はどれも似ており、典型的なハワイ・ポリネシアの服を宣伝している。

 ホロクやアロハシャツに頻繁に言及する一方、
 「サン・アンド・サーフ(太陽と砕け散る波)」アンサンブル
 (訳注:シャツとショートパンツなどの「上下セット」のことか)にも言及している。

 1948年のアロハ・ウィークの典型的な広告を以下に挙げておく。』
 (*広告例は次回、ご紹介します)




 前回の記述で、男性は「ハワイが王様に統治されていた時代の服」を着る、
と書かれていたのですが、
筆者は「どのようなものを指しているかは定かではありません。」と書きました。

しかし今回の記述を読むと、
「多色のタパ柄のアロハシャツをカラフルに組み合わせる」と書かれていました。
タパ=「ハワイが王様に統治されていた時代の服」と見なして、
「タパ柄のアロハシャツ」が(本当は違いますが)伝統的な服だと
言いたいようです。

1948年のタパ柄がどのようなものだったか正確にはわかりません。
ただ、↓ こんな感じではなかろうか、というアロハシャツはあります。

PICT0005.JPG

(筆者コレクションより)

ハワイ王家の紋章が大きくあしらわれ、またハワイ語の文字も書かれているなど、
歴史や伝統を強調するアロハ・ウィークにふさわしいように思えるのです。


次回は、具体的な広告例をご紹介します。



(次回に続く)
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