ハワイの衣料品製造業の歴史 その129 1946年 ハワイでの、オーダーメードのデザイナーと服のスタイル(2) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]
ファンダバーク教授の本『ハワイの衣料品製造業の歴史』の翻訳をお届けしています。
現在は、戦中・戦後編の章を、少しずつ翻訳しているところです。
前回から、「ハワイでの、オーダーメードのデザイナーと服のスタイル」を
ご紹介しています。今回はその第2回です。
この話題がしばらく続きます。
『1946年 ハワイでの、オーダーメードのデザイナーと服のスタイル(2)
1940年代のホノルルの、オーダーメードのデザイナーたちは、
女性物のハイセンスなラインをハワイで初めて作ったのであり、
東洋的なモチーフを服のスタイルに使い始めたのである。
1946年のハワイの新聞には、
オーダーメードのデザイナー数人の服を紹介する広告が掲載されている。
「ジョージ・A・シャヒーンズ
(訳注:アルフレッド・シャヒーンの父が経営するドレス・ショップ)が創作した、
中国調刺繍入り・中国風カクテル・パジャマ・アンサンブル」の絵が載った広告は
その一例である。
また、「アメリカ・デザイナー組合のスタイル登録番号706839番の、
ルイス・ラッセルのオリジナル・デザインのパティオ・パジャマ」は、
同年のまた別の新聞広告の一例である。
さらには、フロイ・マーサーやロリーンズ・オブ・ワイキキといった、
ホノルルのオーダーメードのデザイナーの広告も1946年の新聞に載っている。
マルシア・ソーントン、パシフィック・プリミティブズ、
エルシー・クラッサスなども同様である。
以下は、戦後期のホノルルの、オーダーメードのデザイナーの広告からの抜粋である。』
1945年の『パラダイスオブザパシフィック』誌に、
おそらくこの新聞広告と同じ、ジョージ・A・シャヒーンの広告が出ていましたので、
ご紹介します。
(筆者コレクションより)
次回と次々回は、その広告例をご紹介します。
そのあとで、またこの本文に戻って話を続けます。
(次回に続く)
現在は、戦中・戦後編の章を、少しずつ翻訳しているところです。
前回から、「ハワイでの、オーダーメードのデザイナーと服のスタイル」を
ご紹介しています。今回はその第2回です。
この話題がしばらく続きます。
『1946年 ハワイでの、オーダーメードのデザイナーと服のスタイル(2)
1940年代のホノルルの、オーダーメードのデザイナーたちは、
女性物のハイセンスなラインをハワイで初めて作ったのであり、
東洋的なモチーフを服のスタイルに使い始めたのである。
1946年のハワイの新聞には、
オーダーメードのデザイナー数人の服を紹介する広告が掲載されている。
「ジョージ・A・シャヒーンズ
(訳注:アルフレッド・シャヒーンの父が経営するドレス・ショップ)が創作した、
中国調刺繍入り・中国風カクテル・パジャマ・アンサンブル」の絵が載った広告は
その一例である。
また、「アメリカ・デザイナー組合のスタイル登録番号706839番の、
ルイス・ラッセルのオリジナル・デザインのパティオ・パジャマ」は、
同年のまた別の新聞広告の一例である。
さらには、フロイ・マーサーやロリーンズ・オブ・ワイキキといった、
ホノルルのオーダーメードのデザイナーの広告も1946年の新聞に載っている。
マルシア・ソーントン、パシフィック・プリミティブズ、
エルシー・クラッサスなども同様である。
以下は、戦後期のホノルルの、オーダーメードのデザイナーの広告からの抜粋である。』
1945年の『パラダイスオブザパシフィック』誌に、
おそらくこの新聞広告と同じ、ジョージ・A・シャヒーンの広告が出ていましたので、
ご紹介します。
(筆者コレクションより)
次回と次々回は、その広告例をご紹介します。
そのあとで、またこの本文に戻って話を続けます。
(次回に続く)
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