ハワイの衣料品製造業の歴史 その128 1946年 ハワイでの、オーダーメードのデザイナーと服のスタイル(1) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]
ファンダバーク教授の本『ハワイの衣料品製造業の歴史』の翻訳をお届けしています。
現在は、戦中・戦後編の章を、少しずつ翻訳しているところです。
今回から新しい話題、「ハワイでの、オーダーメードのデザイナーと服のスタイル」で、
その第1回です。
女性物のお話がほとんどで、アロハシャツは少ししか出てきませんが、
この時代のファッションのことがわかると思うので、
しばらくお付き合いください。
『1946年 ハワイでの、オーダーメードのデザイナーと服のスタイル(1)
戦後、ハワイの服のスタイルは変化し始め、視野が少しずつ広くなっていった。
ハワイ製衣料品の種類が、戦後になって増えたのにはいくつかの要因がある。
米国本土で販売するようになったこと、
地元住民のファッション意識が高まったこと、
衣料品メーカーがプロのデザイナーをより多く雇うようになったこと
などが挙げられる。
そしてもう1つ非常に重要な要因は、オーダーメードのデザイナー、
特にワイキキ地区に店を構えるデザイナーが、
戦中から戦後にかけて増えたことである。
もちろん、戦前のハワイでも オーダーメードのデザイナーが
知られていなかったわけではないが、
デザイナー、特に女性物のデザイナーが1940年代後半に増えたのである。
戦後、観光客が押し寄せ、リゾート地区が急速に発展したため、
ハワイの衣料品のスタイルの方向を決めるうえで、
オーダーメードはますます重要になっていった。
1940年代後半までは、アロハシャツ、ホロク、水着、
その他のスポーツウェアのようなハワイ製衣料品は主に、
ホノルルの小規模な、いくつかの衣料品工場、
あるいは個人経営のドレスメーカーやテーラー、
あるいは小売店と関係のあるドレスメーカーやテーラーが生産していた。 』
(次回に続く)
現在は、戦中・戦後編の章を、少しずつ翻訳しているところです。
今回から新しい話題、「ハワイでの、オーダーメードのデザイナーと服のスタイル」で、
その第1回です。
女性物のお話がほとんどで、アロハシャツは少ししか出てきませんが、
この時代のファッションのことがわかると思うので、
しばらくお付き合いください。
『1946年 ハワイでの、オーダーメードのデザイナーと服のスタイル(1)
戦後、ハワイの服のスタイルは変化し始め、視野が少しずつ広くなっていった。
ハワイ製衣料品の種類が、戦後になって増えたのにはいくつかの要因がある。
米国本土で販売するようになったこと、
地元住民のファッション意識が高まったこと、
衣料品メーカーがプロのデザイナーをより多く雇うようになったこと
などが挙げられる。
そしてもう1つ非常に重要な要因は、オーダーメードのデザイナー、
特にワイキキ地区に店を構えるデザイナーが、
戦中から戦後にかけて増えたことである。
もちろん、戦前のハワイでも オーダーメードのデザイナーが
知られていなかったわけではないが、
デザイナー、特に女性物のデザイナーが1940年代後半に増えたのである。
戦後、観光客が押し寄せ、リゾート地区が急速に発展したため、
ハワイの衣料品のスタイルの方向を決めるうえで、
オーダーメードはますます重要になっていった。
1940年代後半までは、アロハシャツ、ホロク、水着、
その他のスポーツウェアのようなハワイ製衣料品は主に、
ホノルルの小規模な、いくつかの衣料品工場、
あるいは個人経営のドレスメーカーやテーラー、
あるいは小売店と関係のあるドレスメーカーやテーラーが生産していた。 』
(次回に続く)
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