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ハワイの衣料品製造業の歴史 その122 1942年 戦争中の、本土からの紳士服(2) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]

ファンダバーク教授の本『ハワイの衣料品製造業の歴史』の翻訳をお届けしています。
現在は、戦中・戦後編の章を、少しずつ翻訳しているところです。


『1942年 戦争中の、本土からの紳士服(2)

  このテーマについては、ほかの記事もたびたび書かれた。
 本土からハワイへの紳士服の供給が細ったことの1つの説明として、
 1945年のホノルル・スターブリトゥン紙に次のようなものがあった。

   ”世の女性が今シーズン、ナイロンの靴下と
   ロング丈のイブニング・ガウンの復活を期待する一方、
   かわいそうな世の男性は、シャツの少ない冬に直面している。”

   ”もしサイズ15の首回りや、白のブロード地や、
   イカリ形ボタンがお好みなら、そのようなシャツは品不足である。”

   ”お店の棚は、クリスマスの買い物客を誘うため、例年なら、
   シャツやショーツやパジャマが積まれているが、
   マキナニーズやアンドレードやハブ・クロージャーズ
   (訳注:すべてホノルルの高級紳士服店)の調査によれば、
   今年はほとんど空っぽである。”

   ”紳士服の在庫見通しは、おそらく1946年3月まで暗いだろうという意見に、
   先の3店の支配人たちは同意する。”

   ”「状況は本土でさえ悪化している」と
   マキナニー社のロス・F・サザランド氏は言う。
   彼は、ニューヨーク、ボルチモア、ルイビル、シカゴ、西海岸を
   2か月かけて周り、今週月曜に戻ってきたところである。”

   ”メーカーは、超過利益税を回避したいため、
   生産高を減らしているのだという説にも、先の3人の支配人は同意する。
   価格統制局が高い物価を継続的に禁止する規制もまた、
   生産を減らすことにつながっている。”

   ”サザランド氏は
   「しかし、政府が賃金と物価に関して明確な政策をとるなら、
    我々小売店は紳士服を再び調達できるようになるだろう」と語った。”  』


 1つだけ補足しておきます。
ここで「マキナニー社のロス・F・サザランド氏」という記載がありますが、
(役職は不明。紳士服部門の部長とか主任バイヤーのような地位だったのでしょう)
この人は、戦後すぐ(1947年頃)、マキナニーから独立して、
自らの名を冠した「ロス・サザランド」という紳士服店を、
ホノルルのダウンタウンのフォート通りに開きます。

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「ロス・サザランド」は、1950年頃には、日本から輸入した
シルクの和柄プリント生地(鶴、兜、宝船などの、着物によく使われるような、
古典的な和柄)を使った、高級アロハシャツをたくさん発売しています。
そのあたりが、他店とは大きく異なる特徴でした。
もちろん、レーヨン抜染のハワイ柄アロハも販売していました。



(次回に続く)
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