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ハワイの衣料品製造業の歴史 その123 1942年 戦争中の、本土からの紳士服(3) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]

ファンダバーク教授の本『ハワイの衣料品製造業の歴史』の翻訳をお届けしています。
現在は、戦中・戦後編の章を、少しずつ翻訳しているところです。
今回は「戦争中に本土から来る紳士服事情」についての第3回ですが、
「戦後の1946年の状況」について語られています。


『1942年 戦争中の、本土からの紳士服(3)

  この供給不足問題は1946年1月になってもまだ未解決だった。
 本土からハワイへの紳士服の供給が細ったというテーマに関して、
 ドロシー・ベニャスは、ホノルル・アドヴァタイザー紙の記事で、
 あるインタビューを報告している。
 その記事からの抜粋を以下に引用する。

   ”大手製造業者と政府機関との軋轢が、
   紳士服の品不足を引き起こしており、品不足はしばらく続くだろうと、
   ザ・ハブ・クロージング・ハウスのオーナー、クリフォード・スピッツァーは
   昨日語った。”

   ”「立場に固執して、価格問題は進展しないだろうと皆が思っている」と
   彼は言った。
   「しかし、生地を生産する紡績会社や製品を作るメーカーや、
   消費者に最終製品を届ける小売店が、
   利益の観点から以前の価格を維持することができないなら、
   上限価格を超えることは認められるべきである」”

   ”「賃金はより高くなりそうなのだから、
   価格管理局が上限価格に対してもう少し現実的な態度を見せない限り、
   商品の不足は続くだろう。
   価格管理局はもともと、全ての製造業者に、
   戦前と同じ価格尺度を守らせようとしたのだが、
   新しい製造業者や新しいビジネスには、
   現在のコストを基にした価格尺度を許してしまっている
   (そこが問題である)。」”

   ”「そこに、避けられない出来事が起こった。
   ある製造業者は、男性用スーツ上下を
   1着18ドル50セントにすることが期待されたのだが、
   その一方、女性用スーツを、同じ素材と同じ付属品だが、
   使う生地の分量を少なくして、1着23ドル50セントで作っても
   許されるのじゃないかと気付いた
   (訳注:男性用スーツの製造業者が、
    新たに女性用スーツの製造に乗り出したため、価格を上げても規制に触れない)。
   その結果、製造業者はみな、ラインを取り替え、
   男性用パジャマと下着のパンツの業務は二倍になった。
   その当時、どこの小売店にも、スイム・トランクスはたくさんあるが、
   ショートパンツはなかった。
   なぜならショートパンツの製造業者がラインを取り替えたからである。
   またシャツのメーカーはスポーツウェアに参入した。
   なぜなら、ボタンと襟のデザインを変えれば、
   普通のシャツより上限価格を高くできるとわかったからである。」”

   ”ホノルルの商店主は、今春の終わりまでに、
   以前より安いが以前より品質の悪い商品が出回るだろうと予言した。
   そして、おしゃれで品質の良い商品が出回ることは、
   今年は期待できないと言った。”  』


 アロハシャツの歴史にも関係してくる、重要な時代背景が語られています。
戦前・戦中に「ドレスシャツ」を製造していたメーカーが、
上限価格を州政府に設定され、利益を取りにくくなってしまったため、
カテゴリーの異なる「スポーツシャツ」(アロハシャツを含む)に参入したようです。
(カテゴリーが変われば、より高い上限価格を設定できるようになり、
 利益も増やせるということのようです)

戦後、アロハシャツメーカーが増えた一因に、
このような背景があったのかもしれません。



(次回に続く)

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