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ハワイの衣料品製造業の歴史 その109 1942~54年 戦中・戦後期の状況 概略(2) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]

ファンダバーク教授の本『ハワイの衣料品製造業の歴史』の翻訳をお届けしています。

前回から、「戦中・戦後編」に移りましたが、今回はその概略部の第2回になります。


『1942~54年 ハワイの衣料品製造業の歴史 戦中・戦後編 概略(2)

    ハワイ柄プリント生地ができたこと、
   土産物を欲しがる水兵やその他の観光客が増えたこと、
   ハワイの伝統を守り伝えるための祭りが開かれたことなどがあいまって、
   衣料品のスタイルの方向性は1941年末までにはすでに決まっていたのである。

    第二次世界大戦中は軍や政府の関係者がハワイで増えたことにより、
   ハワイ・ポリネシアタイプの土産物に対する需要も高まった。
   衣料品製造業者は、注文服の業者も工場生産服の業者もどちら、
   派手なハワイ柄をブロックプリントした衣料品を
   より多く生産することで、需要に応えた。
   多くの衣料品にブロックプリントされたハワイ柄を除けば、
   スポーツウェアのほとんどは、戦争中ずっと、
   本土タイプのベーシックなスタイルであり続けた。
   衣料品のデザインにおけるハワイやポリネシアや東洋の影響は、
   戦争中から戦後すぐにかけて、注文服のデザインに、より頻繁に表れ始めた。

    終戦までには、本土の人々はハワイのことを、
   真珠湾攻撃以前よりも深く知るようになり、
   軍関係者はハワイとのつながりを深め、
   土産物を故郷に送ったり持ち帰ったりした。

    戦後すぐの数年間、本土の市場は、
   大手百貨店がハワイ製品を売り込むのにうってつけであった。
   その頃ハワイは、本土からの観光客や本土との貿易を必要としていた。
   したがって、ハワイ便がある運輸会社やハワイ州観光協会、
   その他観光に関わる会社は広告を出す機会を探しており、
   本土の百貨店がハワイ製品を売り込む際のスポンサーになったのである。』


(次回に続く)

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