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ハワイの衣料品製造業の歴史 その108 1942~54年 戦中・戦後期の状況 導入部(1) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]

5月11日の記事からかなり間が空いてしまいましたが、
今回から、ファンダバーク教授の本の翻訳を再開することにします。

前回の記事はこちら。

1922~41年 ハワイの衣料品製造業の歴史・戦前編の概要(2)
https://vintage-aloha-shirt.blog.ss-blog.jp/2020-05-10-1

過去記事は
https://vintage-aloha-shirt.blog.ss-blog.jp/archive/c2306204492-1
(107回分と、かなり長いですが、今後の話につながるので、ぜひご一読ください)


そして今回から、「戦中・戦後期(1942~54年)のハワイの衣料品製造業の状況」
の話に移ります。


『1942~54年 ハワイの衣料品製造業の歴史 戦中・戦後編 導入部(1)

   1942年~54年のハワイの衣料品製造業は、
  1920年代と30年代の、主に本土タイプの衣料品を製造する産業から、
  1954年までの、ハワイ柄プリントを使って
  主にハワイアン・ポリネシアンタイプの衣料品を製造する産業へと構造変化した。
  この状況からの逸脱は、ホノルルの注文服デザイナーたちが
  流行に合わせて作った衣料品で起こった。
  1942年~54年にハワイの衣料品製造業者が作った一連の製品が変化した原因には
  いくつかの要素がある。

   ハワイでの衣料品製造のスタイルが最初に変わったのは、
  実際のところ1942年以前にまでさかのぼる。
  1930年代後半にハワイ・ポリネシアの最初の影響が、
  ハワイの衣料品工場製造業にもたらされた。
  それはハワイ柄プリント生地を導入するところから始まった。
  プリントシャツ、すなわちアロハシャツは、
  以前は、日本やインドネシア、その他の地域から輸入された
  明るい色のプリント生地で作られていたが、
  同様にハワイ柄のプリント生地を使って作られるようになった。
  1930年代後半には、米国太平洋艦隊とその乗組員たちが
  より頻繁にハワイで休暇を過ごすようになり、
  ハワイアンモチーフの付いた品々がより多く作られるようになった。
  1935年頃にはホノルル・アドヴァタイザー紙とホノルル・スターブリトゥン紙は、
  ハワイや東洋の土産物を扱う店からの広告が掲載された
  特別ページを定期的に入れ始めた。

   1930年代後半には、エルシー・クラッサスのような注文服デザイナーたちは
  オーダーメードのホロクを広告した。
  カメハメハ・デー、レイ・デーその他の日に開かれる祝いの席と関連する形で、
  ホロクを着る舞踏会が、毎年恒例の伝統としてますます確立していった。』


(次回に続く)
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