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ハワイの衣料品製造業の歴史 その82 1939年 ハワイの衣料品製造産業の中のいくつかの会社 [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]

ファンダバーク教授の本の翻訳が続きます。


今回から、1930年代末の、ハワイの衣料品製造産業について
詳しく語られます。
そして、ビンテージアロハでもおなじみの「あのブランド」の話も出てきます。
長いため、数回に分けてご紹介します。
今回は、まず総論から。



 『1939年 ハワイの衣料品製造産業の中のいくつかの会社

  1930年後半のハワイの衣料品製造産業の中のいくつかの会社について
 最もわかりやすくまとめているのは、
 1939年2月のホノルル・アドヴァタイザー紙に掲載されたある記事である。
 その記事は、ローナ・アレンが書き、
 「ハワイの 'ピンと針' :ホノルルの最も新しい産業--婦人服製造--は
 過去2年で売上100万ドルになった」と題されている。
 その記事を複写したものが以下の文章である。

   ”アロハシャツ--ハワイでデザインされ作られた、
  着心地がよく派手で画趣に富むスポーツウェアの象徴--は
  大きなビジネスとなった。”

   ”スラックスやショートパンツ、水着やブッシュ・ジャケット、
  ハウス・コートやプレー・スーツなどが、
  そういうものはすべて、生活を楽しむために作られたものなのだが、
  たくさん生み出されている。
  そして需要のほうも増えていることは調査結果が示している。”

   ”ハワイでの衣料品製造は、数年前の、当たるか外れるかは運しだいという
  ばくちのようなビジネスから、
  ハワイ準州の中でも非常に重要な産業へと成長してきた。
  ハワイは、米国の中のスポーツウェア製造の中心地になる可能性がある。
  いや、そうなるのは確実だと考える人もいる。”

   ”マーケットのことを学んできた、衣料品ビジネスの経営者たちによれば、
  本土で、ハワイ製スポーツウェアにこれほどの需要があるのは、
  単に流行しているからではなく、
  国中の店に絶えず並べられているような、
  ファッションとしての影響力があるからである。”

   ”「本土での、ハワイ製スポーツウェアの人気は、
  現在のレベルよりずっと高くなるというのではきっとなく、
  現在のレベルを維持し続けるのだろう」と、ある地元の製造業者は言った。
  「より大きな店のほとんどは、自分たちのスポーツウェア売り場に
  ハワイ製スポーツウェアの在庫をある程度抱える必要があるといま感じているし、
  今後もそう感じ続けるだろう」”

   ”ハワイの衣料品産業はまだ生まれたばかりであるから、
  ハワイの地元住民の消費とハワイを訪れる観光客の需要に関しては、
  まだまだ拡大し続ける。” 』


 この、1939年に書かれた新聞記事からは、わずか1~2年で急成長した
ハワイ製衣料品が持つ、熱気のようなものが伝わってきます。
大恐慌後の、景気が良くなっている時代、
ミニバブルのような時代で(その後戦争になるとは知らないわけですから)、
楽園のような楽しさに満ちたハワイ柄の服は、
時代の気分に合っていて、もてはやされたのかもしれません。


 次回からは、各論に移ります。
ビンテージアロハで知られる有名ブランドの話題もたくさん出てくるので、
興味のある方には面白いはずです。
こうご期待。



(次回に続く)

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