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ハワイの衣料品製造業の歴史 その83 1939年 ハワイの衣料品製造産業の中のいくつかの会社(2) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]

ファンダバーク教授の本の翻訳が続きます。


1930年代末のハワイの衣料品製造産業について詳細に記述された
新聞記事が取り上げられています。
今回から数回にわたり、
ビンテージアロハでもおなじみの「あのブランド」の話です。
長いため、数回に分けてご紹介します。



 『1939年 ハワイの衣料品製造産業の中のいくつかの会社(2)

   ”ハワイのピンと針(訳注:衣料品製造)産業の急速な成長の一例は、
  マックス・ルイスと、ベレタニア通りの、中央消防署の反対側にある、
  彼のロイヤル・ハワイアン・マニュファクチャリング・カンパニーの話である。”

   ”1年数か月前にルイス氏は、
  8台の機械と12人ほどの従業員とでこの会社を始めた。
  それが今日では、60台の機械を抱え、
  80人から85人を雇用するまでになっている。”

   ”彼が作る製品は、あらゆる種類のハワイアン・スポーツウェアなのだが、
  1アイテムあたり1.95ドルから19.50ドルまでの価格で小売りされ、
  本土のすべての州で買われており、
  同様にロンドンやパリやスイスやバミューダ諸島や
  オーストラリアでも買われている。”

   ”このような遠方の地に、熱帯魚とヤシの木、
  ダイヤモンドヘッドとアロハタワー、サーフボードとレイ、
  ウクレレとワイキキビーチの景色などが
  楽しい雰囲気でごちゃまぜになった異国的なプリント柄の、
  シャツやスラックス、ハウスコート、パジャマ、
  プレー・スーツが行くのである。” 』


 今回から、ロイヤル・ハワイアン・マニュファクチャリング・カンパニーの話です。
1937年創業で、おそらく1980年代まで続いていたと思われるブランドです。
3大ブランドの1社と言えるでしょう。
歴史的にワットムルスと関係が深く、のちに(確か1950年代)買収されます。

私の調べた限りでは、以下の5つの織ネームが存在します。

ロイヤルハワイアン 織ネーム1.JPG
(筆者コレクションより。おそらく1930年代から1950年頃まで。
 濃緑色で書体の違うタイプも存在)
ロイヤルハワイアン 織ネーム2.jpg
(筆者コレクションより。1950年以降1950年代末か1960年代初頭まで)
ロイヤルハワイアン 織ネーム3.JPG
(筆者コレクションより。1950年代頃。上のものとどちらが古いか未確定)
ロイヤルハワイアン 織ネーム4.jpg
(ヤフオク出品物より引用。2番目と同デザインだが三角タグ。
 おそらく1960年代から1970年代頃か)
ロイヤルハワイアン 織ネーム5.jpg
(ヤフオク出品物より引用。2番目と同デザインだがプリントタグ。
 1980年代頃か)

そのほかにも、リバティハウスやマキナニーとのダブルネームも存在します。


(次回に続く)

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