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ハワイの衣料品製造業の歴史 その64 1938年 ホノルルの小売店の広告がハワイアン・スポーツウェアを取り上げた [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]

ファンダバーク教授の本の翻訳が続きます。


 『1938年 ホノルルの小売店の広告がハワイアン・スポーツウェアを取り上げた

  1938年から1941年にかけて、
 ホノルルの小売店による、ハワイ衣料の広告例はますます頻繁になった。
 その4年間に広告が打たれたハワイ製衣料品の種類は、
 ”イン・オア・アウト(裾をスラックスの中に入れても出しても着られる)”
 タイプのシャツやその他のタイプのシャツ、ジャケット、
 ラウンジング・パジャマ、ハウスコート、男性用スラックス、女性用水着、
 短パン、デューク・カハナモク・ブランドのコート、そしてブラウスなどである。
 1939年にホロクがワットムルスによるある広告で触れられているほか、
 1941年にスポーツ・ドレスが同社による広告の1つで触れられている。
 ポピュラーな素材は、コットンのハワイ柄プリント、壁縮緬、
 そしてレーヨンであった。
 そのような広告のほとんどは、取り上げている衣料品が
 ハワイ柄のプリント生地でできているという事実に言及している。
 その4年間に、地元市場で売られていたハワイ製衣料品の種類に
 言及している広告は次の通り。』


 (実際の広告例は次回以降ご紹介します)


 まず最初に注目したいのは、「イン・オア・アウト」という商品です。
お店によっては「イン・アンド・アウト」とか「イン・オア・アウター」などと
呼んでいることもありますが、
アロハシャツのように「裾がスクエア・カットになったシャツ」のことだと思います。

 それまでのシャツは、裾がラウンド・カットになっていて、
裾をスラックスの中に入れて礼儀正しく着るのが当たり前だったところに、
スクエア・カットのシャツが新しく出てきて、
その裾を出してラフに着る着方を誰かが提案し、
この時代に流行したのではないでしょうか?
裾が風になびく感じが、ほどよくくだけて見え、
それが人々の目にかっこよく映ったのではないでしょうか?
そして裾を中に入れて着ればジャケットの中に着ることもできるので、
余暇にも仕事にも着られる便利なシャツとして人気が出たのでは?と
筆者は想像しています。
ただし当時の写真などを見る限り、実際のところは、
裾を中に入れて着る着方が、(特に地元住民の間では)多かったように思われます。
(裾を出して着るのはだらしないと考える人がまだまだ多かったのでしょう)
↓ その例がこちらです。

Screenshot_2020-03-21 全布哇對島ゴルフ大会 大会役員 2   1939.07.17— 邦字新聞デジタル・コレクション.jpg
Screenshot_2020-03-20 全布哇對島ゴルフ大会 大会役員 — 邦字新聞デジタル・コレクション.jpg
(フーバーインスティチューションのHPより引用。
 1939年のゴルフ大会役員の記念写真。初期のアロハシャツ=和柄の例)

 スポーツウェアと呼ばれるカテゴリーの1アイテムで、
スポーツシャツと称されることからもわかるように
最初は、テニスやゴルフなどのスポーツをする際に腕を動かしやすいように、
裾を出して着られるシャツとして(おそらく米国西海岸で)生まれたのでしょうが、
それが、ハワイのビーチで着る、余暇のためのシャツとなり、
それを参考にしてアロハシャツも生まれてきたのかもしれません。

 それから、
「ポピュラーな素材は、コットンのハワイ柄プリント、壁縮緬、レーヨンであった」、
そして
「取り上げている衣料品がハワイ柄のプリント生地でできている」
という部分も重要です。
壁縮緬について、ここでは柄の記載がありませんが、
この生地が日本でのみ作られていたことを考えれば、
そのほとんどは着物柄だったと思いますが、
一部にはハワイ柄もあったことでしょう。

 日本の染工所は少ない量でも注文を請け負ったようですし、
ハワイには日本語のできる日系人が多く、
そのつてを頼れば日本に発注するのも容易だったでしょうから、
日本製のハワイ柄のプリント生地が(戦後はもちろんありましたが)
戦前のこの時期からすでにあったとしても不思議ではありません。


それでは次回から、その具体的な広告例をご紹介します。
 

(次回に続く)

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