ハワイの衣料品製造業の歴史 その60 1936-38年 ハワイ由来の衣料品であると述べたりほのめかしたりしている、小売店の初期の新聞広告の例(後編) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]
ファンダバーク教授の本の翻訳が続きます。
前々回の本文を補足する、新聞広告の例の後編です。
『1936-38年 ハワイ由来の衣料品であると述べたりほのめかしたりしている、
小売店の初期の新聞広告の例(後編)
チャイナ・ギフト・チェスト
ホノルル・アドヴァタイザー紙
1937年10月31日
”ハワイアン・スポーツ・ウェア。
ご自身用にはもちろん、ハワイまたは本土のご家族またはお友達にあげたくなる、
まさにそれです。
このトロピカルな服の全ラインを入荷しています。
男性用、女性用、子供用の、ハワイ柄のコットンシャツやシルクシャツ、
シルク製のシャツテール、ローシルク製のシャツやコート、
デューク・カハナモク・ブランドのシャツやコート、
コットン製とシルク製のハウスコート、
コットン製とシルク製のラウンジング・パジャマ、
ロナ・クロス(訳注:ロナ・ブランドのストライプ柄の生地)を使ったスラックス、
などです。
イラストにあるような(裾の両端を結んでいる)
シルク製のシャツテール、各2.95ドル、
イラストにあるようなロナ・クロスのスラックス、
お色は生成り、茶、青、薄黄色で、サイズは各種、1本2.95ドル。”
チャイナ・ギフト・ショップ
ホノルル・スターブリトゥン紙
1938年7月3日
”ハワイ柄の子供用コットン・プリント・シャツテール。特価各59セント。
自然柄と花柄の女性用コットン・プリント・シャツテール。特価79セント。
ハワイ柄の男性用コットン・プリント・シャツ。特価89セント。”
キング・スミス
ホノルル・スターブリトゥン紙
1936年6月9日
”'ワイキキ' ブランドの当店独自のローシルク・シャツ。1.95ドル。
ハワイ製、地元民と短期旅行者向け。
本物のローシルクを使い、本物のココナッツボタンを付けています!
専門の職人の仕立て、手仕上げの襟と手縫いの前立て。
背中にはシャーリングをつけているので、特別な涼しさと快適さを味わえます。
色:白、薄黄色、紺、
ワイキキ・タン(訳注:ワイキキで日焼けしたような黄褐色)、
栗色(訳注:エビ茶色)、生成り、ハワイアン・ブルー。全サイズ揃い。
キング・スミスの独占販売。ノース・キング通り36-38番地、スミス通りの近く。”
キング・スミス
ホノルル・スターブリトゥン紙
1936年6月12日
”ハワイで作られたハワイのためのワイキキ・スイム・スーツ。
豪華なトロピカル・フラワー柄とハワイアン・タパ・プリントの
派手なシャリス(薄手のウール地)製! 裏地付き! 防縮加工済み!
あらゆるきゃしゃな人魚さんにもフィットするサイズ。
男性用のワイキキ・スイム・トランクスも1.75ドルで入手可能です。
どれもキング・スミスの独占販売。
ノース・キング通り36-38番地、スミス通りの近く。”
リバティ・ハウス
ホノルル・スターブリトゥン紙
1936年6月12日
”シャリス製 'アロハ' シャツ、1ドル。女の子はみんな、
この派手でカラフルなプリントシャツを1枚欲しがることでしょう。
ハワイ製、上質なシャリスを使用。サイズは4から12まで。” 』
チャイナ・ギフト・チェストという店では、
「ハワイ柄のコットンシャツやシルクシャツ」という言い方(1937年10月)、
チャイナ・ギフト・ショップという店では、
「ハワイ柄の男性用コットン・プリント・シャツ」という言い方(1938年7月)を
している一方、リバティ・ハウスでは
「シャリス製 'アロハ' シャツ」と表現(1936年6月)しています。
1936年から38年にかけての、表現の移り変わりが垣間見られて面白いです。
また、ハワイ柄が急速に普及してゆく様子もうかがえます。
それと、チャイナ・ギフト・チェストの
「デューク・カハナモク・ブランドのシャツ」というのは、
のちのシスコ社のカハナモクのアロハシャツではなく、
ブランフリート社(のちのカハラ・スポーツウェア)が戦前の一時期のみ
生産・販売していた、幻のシャツで、
「パイナップル・ツイード」という、おそらく麻の生地を使い、
胸ポケットにハワイ王室のワッペンを縫い付けた無地のシャツのことだと思われます。
(カハラは戦後、同様のシャツを復刻しているため、
2種類のパイナップル・ツイード・シャツが存在します)
『マイフリーダム7』や洋書『ハワイアン・シャツ・デザイン』に掲載されているので、
お持ちでしたらそちらをご覧ください。
また『マイフリーダム7』には、ベルト付きでショート丈の、同素材のコート(紺色)も
掲載されており、それがここで言う「デューク・カハナモク・ブランドのコート」
ではないかと推測しています。
(次回に続く)
前々回の本文を補足する、新聞広告の例の後編です。
『1936-38年 ハワイ由来の衣料品であると述べたりほのめかしたりしている、
小売店の初期の新聞広告の例(後編)
チャイナ・ギフト・チェスト
ホノルル・アドヴァタイザー紙
1937年10月31日
”ハワイアン・スポーツ・ウェア。
ご自身用にはもちろん、ハワイまたは本土のご家族またはお友達にあげたくなる、
まさにそれです。
このトロピカルな服の全ラインを入荷しています。
男性用、女性用、子供用の、ハワイ柄のコットンシャツやシルクシャツ、
シルク製のシャツテール、ローシルク製のシャツやコート、
デューク・カハナモク・ブランドのシャツやコート、
コットン製とシルク製のハウスコート、
コットン製とシルク製のラウンジング・パジャマ、
ロナ・クロス(訳注:ロナ・ブランドのストライプ柄の生地)を使ったスラックス、
などです。
イラストにあるような(裾の両端を結んでいる)
シルク製のシャツテール、各2.95ドル、
イラストにあるようなロナ・クロスのスラックス、
お色は生成り、茶、青、薄黄色で、サイズは各種、1本2.95ドル。”
チャイナ・ギフト・ショップ
ホノルル・スターブリトゥン紙
1938年7月3日
”ハワイ柄の子供用コットン・プリント・シャツテール。特価各59セント。
自然柄と花柄の女性用コットン・プリント・シャツテール。特価79セント。
ハワイ柄の男性用コットン・プリント・シャツ。特価89セント。”
キング・スミス
ホノルル・スターブリトゥン紙
1936年6月9日
”'ワイキキ' ブランドの当店独自のローシルク・シャツ。1.95ドル。
ハワイ製、地元民と短期旅行者向け。
本物のローシルクを使い、本物のココナッツボタンを付けています!
専門の職人の仕立て、手仕上げの襟と手縫いの前立て。
背中にはシャーリングをつけているので、特別な涼しさと快適さを味わえます。
色:白、薄黄色、紺、
ワイキキ・タン(訳注:ワイキキで日焼けしたような黄褐色)、
栗色(訳注:エビ茶色)、生成り、ハワイアン・ブルー。全サイズ揃い。
キング・スミスの独占販売。ノース・キング通り36-38番地、スミス通りの近く。”
キング・スミス
ホノルル・スターブリトゥン紙
1936年6月12日
”ハワイで作られたハワイのためのワイキキ・スイム・スーツ。
豪華なトロピカル・フラワー柄とハワイアン・タパ・プリントの
派手なシャリス(薄手のウール地)製! 裏地付き! 防縮加工済み!
あらゆるきゃしゃな人魚さんにもフィットするサイズ。
男性用のワイキキ・スイム・トランクスも1.75ドルで入手可能です。
どれもキング・スミスの独占販売。
ノース・キング通り36-38番地、スミス通りの近く。”
リバティ・ハウス
ホノルル・スターブリトゥン紙
1936年6月12日
”シャリス製 'アロハ' シャツ、1ドル。女の子はみんな、
この派手でカラフルなプリントシャツを1枚欲しがることでしょう。
ハワイ製、上質なシャリスを使用。サイズは4から12まで。” 』
チャイナ・ギフト・チェストという店では、
「ハワイ柄のコットンシャツやシルクシャツ」という言い方(1937年10月)、
チャイナ・ギフト・ショップという店では、
「ハワイ柄の男性用コットン・プリント・シャツ」という言い方(1938年7月)を
している一方、リバティ・ハウスでは
「シャリス製 'アロハ' シャツ」と表現(1936年6月)しています。
1936年から38年にかけての、表現の移り変わりが垣間見られて面白いです。
また、ハワイ柄が急速に普及してゆく様子もうかがえます。
それと、チャイナ・ギフト・チェストの
「デューク・カハナモク・ブランドのシャツ」というのは、
のちのシスコ社のカハナモクのアロハシャツではなく、
ブランフリート社(のちのカハラ・スポーツウェア)が戦前の一時期のみ
生産・販売していた、幻のシャツで、
「パイナップル・ツイード」という、おそらく麻の生地を使い、
胸ポケットにハワイ王室のワッペンを縫い付けた無地のシャツのことだと思われます。
(カハラは戦後、同様のシャツを復刻しているため、
2種類のパイナップル・ツイード・シャツが存在します)
『マイフリーダム7』や洋書『ハワイアン・シャツ・デザイン』に掲載されているので、
お持ちでしたらそちらをご覧ください。
また『マイフリーダム7』には、ベルト付きでショート丈の、同素材のコート(紺色)も
掲載されており、それがここで言う「デューク・カハナモク・ブランドのコート」
ではないかと推測しています。
(次回に続く)
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