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ハワイの衣料品製造業の歴史 その54 1936年 エルシー・ダースとハワイアン・ファブリックのデザイン(中編) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]

ファンダバーク教授の本の翻訳が続きます。


前回から引き続き、ハワイ柄のテキスタイルを最初にデザインしたと言われる、
エルシー・ダースのお話です。和柄として誕生したアロハシャツがハワイ柄に変わり、
現在に至るまで定着している、そのきっかけ(の一端)を
この人が作ったとも言えるでしょう。


 『1936年 エルシー・ダースとハワイアン・ファブリックのデザイン(中編)

  『パラダイス・オブ・ザ・パシフィック』誌1953年9月号に載った、
 ウィリアム・ダヴェンポート氏の「エルシー・ダース、美術家兼デザイナー」という
 記事の中に次のような文章がある。

   ”概念においてモダンでダイナミックな、これら名状しがたい花柄は、
  商業的に生産された最初のハワイ柄である。
  その生地は美しく制作されているため、大きな商業的成功をおさめ、
  多くの学校や大学が生地収集用にそれを買うという栄誉に浴した。
  また船の最大積載量まで売られ、遠くロンドンで展示されたほどである。”

   ”エルシー・ダースはオリジナルのハワイ柄を、
  第二次世界大戦が始まるまで描き続けた。
  かつてこんなことがあったと彼女は回想するのだが、
  日本の製造業者の段階の過失で、彼女が描いたデザインのいくつかが
  ヘビー・サテン地にプリントされてしまい、
  かえってそれがハリウッドで流行となったのである。
  ジンジャー・ロジャースやジャネット・ゲイナーやその他の映画スターたちが
  その生地をたくさん買い、 '魅惑的なガウン' に仕立てた。
  その結果、国中にハワイ柄の流行をもたらしたが、
  そのようなものの大半は、テーブルクロスやナプキンやスカーフに描かれた
  ハイビスカスやジンジャーの花といった、
  ダースのオリジナル・デザインよりも劣っていた。” 

   ”そうこうしている間に、エルシーのオリジナル・デザインは、
  『ストゥディオ・イヤー・ブック』『ハウス・アンド・ガーデン』
  『ザ・クリスチャン・サイエンス・モニター』その他の全国的な出版物に
  複写掲載された。彼女自身は、そのような複写掲載を問題とはせず、
  軽量なレーヨン生地(1930年代中頃にアロハシャツに仕立てられていたのと
  同じようなレーヨン生地)に独自の柄をプリントすることで、
  夏のスタイルに革命を起こしていた。
  彼女のデザインは大流行となり、ハワイ柄はニューヨークで生地にプリントされ、
  それを使ったアロハシャツは定着したのである。” 』


 ハワイ柄のヘビー・サテン生地でガウンにするのがハリウッドで流行し、
それを模倣した粗悪なプリント生地が全米で流行したという話は
筆者も今回初めて知りました。
 ハワイ柄の母、エルシー・ダースは偉大ですね。


(次回に続く)



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