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ハワイの衣料品製造業の歴史 その55 1936年 エルシー・ダースとハワイアン・ファブリックのデザイン(後編) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]

ファンダバーク教授の本の翻訳が続きます。


前々回から引き続き、ハワイ柄のテキスタイルを最初にデザインしたと言われる、
エルシー・ダースのお話です。


 『1936年 エルシー・ダースとハワイアン・ファブリックのデザイン(後編)

  1950年のホノルル・アドヴァタイザー紙に載ったある記事は、
 エルシー・ダースがハワイ柄のプリント生地の誕生に与えた影響について
 論じている。その記事は言う。

   ”ローシルクにプリントされた彼女の最初の一連のデザインの評判の高さは、
  それらが、ミネソタ大学と、南カリフォルニアのある有名な美術学校に
  永久展示されているという事実からも明らかである。”

   ”『ハウス・アンド・ガーデン』、『ストゥディオ・イヤー・ブック』、
  ファッション雑誌といった本土の出版物が、
  彼女のデザインしたプリント生地を使って、
  カーテンから小児用エプロンまでのあらゆるものに仕立て上げるやり方を
  載せていた。そうして、アメリカ国民は
  ハワイ柄というものを知るようになったのである。”

  初期のハワイ柄プリントのデザインをしたもう1人の人物が
 ノブジ・ヨシダ(吉田信二)である。

 ノブジ・ヨシダ.jpg
 (フーバーインスティチューションのHPより引用)

 彼は1918年頃に日本の山口県から渡米してボストン美術館附属美術学校で学び、
 その後ヨーロッパに2度渡って
 ミュンヘンのブロヒェラー学校でデザインを学んだ。
 彼は、ハワイ柄が出始めた早い時期に、
 ハワイの製造業者のためにプリントのデザインを始めた。
 また、ハワイの美術家、イサミ・ドイと、
 ホノルル・アドヴァタイザー紙の前美術部員、ジェリー・チョングもまた、
 ハワイ柄プリントのデザインをした初期のクリエーターである。』


 ここで、ノブジ・ヨシダが登場します。
筆者は、かつてハワイで、彼の奥さんに話を聞いたことがありますが、
話を聞いただけで、その内容をまだ活字にしたことはないので、
彼のことはほとんど知られていないと思います。
(機会があれば、彼のことについて一度まとめてみたいと思っています)

アロハシャツの創成期に、頼まれて少しプリント用の絵を描いたそうです。
また戦後すぐの一時期、「ハワイアン・カジュアル」というブランドにも
少しかかわっていたようですが、
本職は画家であり、新聞社に勤めて新聞の挿絵などを描いていたそうです
(美術部門に所属していたのでしょう)。
上の文章にはヨーロッパに2度行ったと書かれていますが、
そのうちの1度は
「1937年7月5日秩父丸で渡日。シベリア経由で一ケ年欧洲へ絵研究に行く。」
(フーバーインスティチューションのHPより引用)
ということだったようです。

 イサミ・ドイのことは、調べたものの、詳しいことはわかりませんでした。
早い時期に亡くなったのかもしれません。


(次回に続く)


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