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ハワイの衣料品製造業の歴史 その37 1935年 人々は、ハワイでの、ファッションと衣料品製造の両方に興味を示した [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]

ファンダバーク教授の本の翻訳が続きます。



 『1935年 人々は、ハワイでの、ファッションと衣料品製造の両方に興味を示した

  1935年のホノルルの新聞に掲載された種々雑多な広告は、
 その当時のハワイで、ファッションを意識する機会や
 衣料品を製造することが増えてきたことを反映している。
  ”全国産業復興局が設立されて以来の、全米での商業と工業の改善”と
 題されたある広告が、1935年1月20日付ホノルル・アドヴァタイザー紙に
 掲載されている。そこには、広告費を出した多くの会社の一覧があるのだが、
 その中に、2つの衣料品製造会社、ユニオン・サプライ社と
 セイラー・モク・プロダクツ株式会社の名前もあった。
 このことは、衣料品製造会社が
 他の産業の会社と歩調を合わせて公共広告に参加するほど、
 当時の全産業から成るコミュニティの一部であると
 みなされていたということを示唆している。』


 1933年ごろから、博覧会で水着が前面に打ち出されていることから、
ハワイでも余暇を楽しむ人が増えているくらい、
景気が良くなってきたのではないだろうかと以前にも指摘しましたが、
ここで教授も、1935年の広告
(「全国産業復興局のおかげで商業も工業も改善した」という公共広告)を
取り上げて、同様のことを述べています。
そして、景気が良くなってきた結果として、ハワイで衣料品を製造する会社が増え、
ファッションを気にする人も増えてきた、ということを指摘しているわけです。

 このような背景を考慮するなら、
筆者の「1935年(または1934年の後半)にアロハシャツが誕生した」という説にも
納得していただけるのではないでしょうか?

 これまで、なかなかアロハシャツの話が出てこず、
ただの「ハワイの衣料品の歴史のブログ」のように見えてしまっていましたが、
ようやく、アロハシャツが登場する時代までやってきました。
このような背景を知っていただくために、
長々と(今回でもう37回です!)ハワイの衣料品の歴史を語ってきたわけです。

 お待たせいたしました。次回からは、ぐっと面白くなってくるはずです。
どうぞご期待ください。



(次回に続く)


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