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ハワイの新聞記事から その242 1954年 シャヒーンズの新作がパーティで紹介された(4) [ハワイの新聞記事から]

筆者が収集した、
アロハシャツに関する
ハワイの新聞記事の中から
面白そうなものを
ランダムに選び、
翻訳してご紹介しています。

現在は、1954年のホノルル・
スターブリトゥン紙に掲載された
シャヒーンズに関する
記事になります。

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1955 Shaheen.jpg

(1955年の展示会時の写真。
アルフレッド・シャヒーンの
HPより引用
~本文とは関係ありません)

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『シャヒーンズの新作が日曜、
パーティで紹介された(4)
文/ルース・リヴィア

絵描きとデザイナー

 デザイナーの
リチャード・グッドウィンと
絵描きのトニー・ウォーカーは、
彼らの傑出した仕事に対する
多大な称賛に値する。

新作は
東洋と西洋の影響を
示していた。

 パーティに出席していた
重役社員は、
販売部長フレッド・バック、
信用調査部長ローランド・
ウィンブッシュ、
工場長ジョー・P・ルーマン、
そしてケネス・ゴトウ
(訳者補足:
肩書の記載はないが、
おそらく会計係)であった。

 有名な招待客は、
次期市長ニール・ブレイスデル、
ポーター・ディキンソン夫妻、
ジョージ・シャヒーン夫妻
(訳者補足:アルフレッド・
シャヒーンの両親であり、
ジョージは1952年頃まで
シャヒーン社の社長)、
アイラ・サンダース、
カール・ヘーベンシュトライト、
そしてKGMBテレビの
リー・ベッカー、
フロイド・フッド、
ワラワラ(訳者補足:
店の名前?詳細不明)の
ウィリアム・アンダーソン夫妻
などであった。』

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リチャード・グッドウィンと
トニー・ウォーカーは、
以前にも出てきた名前ですね。

工場長ジョー・P・ルーマン
(ジョセフ・P・ルーマン)は
1952年前後に
ニューヨークから来た、
服飾製造のベテランで、
妻ルビー・ルーマンは
当時、サーフンサンド社の
支配人でした。

ルーマンは、この記事が
書かれた1954年前後に、
独立して
「J・P・ルーマン社」という
シャツのメーカーを
立ち上げています。


この記事は今回で終わりです。

次回をお楽しみに。


(次回に続く)

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