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ハワイの新聞記事から その185 1950年 ムサシヤ・ショウテンの新聞広告 [ハワイの新聞記事から]

筆者が収集した、アロハシャツに関するハワイの新聞記事の中から、
面白そうなものをランダムに選び、翻訳してご紹介しています。

今回は、1950年のホノルル・アドヴァタイザー紙に掲載された、
ムサシヤ・ショウテンの新聞広告です。
記事の翻訳ではなく、広告の記述から、
イラストや写真はありませんが、どのようなものを売っていたのかを
考察したいと思います。



MUSASHIYA SHOTEN A1950..jpg

(筆者コレクションより)


1950年 ムサシヤ・ショウテンの新聞広告

ムサシヤ・ショウテン(当時はムサシヤ・ショウテン・リミテッド。
ムサシヤ・ザ・シャツメーカーではない方の生地店)は
1950年10月に、アロハウィークに向けて新聞に広告を出しました。
それが上の画像です。

生地のほか、日本人形や履物など日本から輸入した雑貨も販売していました。

そしてこの広告の中で特に注目すべき部分は、次の箇所です。

For Aloha Week.jpg

文字に起こします。

「メンズ・フジシルク(富士絹)・アロハシャツ $7.50
 メンズ・カベクレープ(レーヨン壁縮緬)・シャツ $6.50
 ハワイアン・プリント・シャツ $2.75・$3.75・$4.50 」

まず、1950年と言う時代背景から説明します。

サンフランシスコ講和条約が発効したのは「1952年4月28日」ですが、
ハワイの新聞を見ていると、
それ以前から、日本からの輸入品が売られているようなのです。
そして特に1950年には、「キモノ柄のプリントシャツ」の広告が
頻繁に新聞に掲載されるようになります
(それ以前には日本的な商品の広告はほとんどありませんでした)。

例えば「富士山と宝船」とか「鷲と松」のような、
オーソドックスな和柄のシャツが、写真と共に広告されていました。

そのようなことから、筆者は1950年という年を
「和柄がブームになった年」と考えています。
つまり、この年に、(何かのきっかけがあって)
日本からの輸入品が爆発的に増え、
「キモノ柄のプリントシャツ」が目新しさから流行したのではないかと
推測しているのです。

そんな流れの中にあって、ムサシヤ・ショウテンも
和柄のシャツ(シルク製とレーヨン壁縮緬製)を売るようになっていたのではないかと
思うのです。

「富士絹」や「壁縮緬」の生地は当然日本からの輸入品ですから、
それをハワイでシャツに仕立てて売っていたと思われます。
そして1950年という年を考えれば、
「富士絹」や「壁縮緬」の柄は、キモノに使われるような和柄だったでしょう。
それらのハワイ柄はまだなかったと思います
(それらのハワイ柄が出てくるのは、筆者の推測では1950年代半ば以降です)。

一方、「ハワイアン・プリント・シャツ」の生地は、
コットンやレーヨンの、米国でプリントされたハワイ柄だと思います。
レーヨン抜染の生地もあったかもしれません。


そして、マキナニーやリバティハウスでの売値よりも安いことを考えれば、
大手メーカー(カメハメハやカハラなど)製のものではなかったでしょう。
ムサシヤの裏に工房がありそこで作ったものだったかもしれません。
あるいは個人経営のシャツ店に依頼したかもしれません。
詳細はわからないので、想像するしかありませんが、
作りがおおむね丁寧なので、工場製でないのは確実です。


例えば、こちら ↓ は「ロス・サザランド」という店のものですが、

s-DSCN0132.jpg

(筆者コレクションより)

シルク製であること、初期のタイプの和柄であること、
縫製が「巻き伏せ縫い」を使った丁寧なものであること
(=ダブルステッチなどの、工場での大量生産のものではないこと)などの特徴があり、
それらの特徴は、ムサシヤ・ショウテンの、上の広告に出てくるシャツも
備えていたのではないかと筆者は推測します。



今回は、ムサシヤ・ショウテンの1950年の、文字だけの広告から、
イメージを膨らませてみました。



(次回に続く)

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