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ハワイの新聞記事から その165 1968 ムサシヤ・ザ・シャツメーカーが閉店(1) [ハワイの新聞記事から]

筆者が収集した、アロハシャツに関するハワイの新聞記事の中から、
面白そうなものをランダムに選び、翻訳してご紹介しています。

今回から新しく、ムサシヤについての1968年の新聞記事をお届けします。
ムサシヤと言っても、
ムサシヤ・ザ・シャツメーカーとムサシヤ・ショウテンの2つがあり、
今回はムサシヤ・ザ・シャツメーカーの方の話です。




A68 musashiya.jpg

『「ナンバーワンのシャツメーカー」が華やかなキャリアを終える(1)
文/メアリー・クック(ホノルル・アドヴァタイザー紙スタッフ・ライター)

 40歳以上のハワイ住民への覚書:ムサシヤ・ザ・シャツメーカーに
「サヨナラ」を言う時が来た。

 新参者や40歳以下のハワイ住民への覚書:もしムサシヤが誰か知らないなら、
彼こそは、ホノルルにかつていた中で最も絵になる、
実在の伝説的人物の1人なのである。

 彼の本名は宮本孝一郎であり、現在73歳で、今まさに引退しようとしている。

 サヨナラ、そしてアロハ、ムサシヤよ。

 そのことを知る人はほとんどいないかもしれないが、
この地味な日本のシャツメーカーのおかげで、
世界はハワイの並外れた色の多さに初めて気付いたのである、
文字の上からも視覚的にも。

彼はノース・キング通りの、
魚市場とリバー通りの間にある店で商売を営んでいた。

 そこで最初のアロハシャツが作られたのである。

 そしてムサシヤは、ハワイスタイルの和製英語を印刷物で世に送り出した
最初の人でもある。

彼の新聞広告は1930年に始まったのだが、
「島言葉」の、つまり必要の道具として新しく作り出された
軽快で巧みなウィットが連続する、独創的な宝石であった。

仰々しい入れ物の上で、ムサシヤはそれをやり、
歓声を上げて言葉の壁を飛び越えたのである。』




ムサシヤ(ムサシヤ・ショウテン、武蔵屋呉服店)という店は
もともとこの宮本孝一郎が始めた店だったのですが、
おそらく世界大恐慌後の不景気で経営不振に陥り、
「ムサシヤ・ショウテン」という屋号と、
ノース・キング通りにあった店舗の営業権を藤井順一商店に譲渡し、
自らは少し離れた場所で、
「ムサシヤ・ザ・シャツメーカー」という店名を掲げて新しい店を始めたのです
(戦後はワイキキに移転しました)。

その店が1968年に閉店することになり、
新聞にこのインタビュー記事が掲載されたということのようです。

直接的にアロハシャツに関する話は出て来ないでしょうが、
「ムサシヤ・ザ・シャツメーカー」の歴史をおさらいしておくことは
有意義でしょうから、この記事を翻訳していこうと思います。

なお、上の文章で
「そこで最初のアロハシャツが作られたのである」
と述べられていますが、
「最初のアロハシャツの広告を新聞に掲載した」
(発明したかどうかは不明)のは
宮本から譲り受けた後の「ムサシヤ・ショウテン」であり、
宮本孝一郎(ムサシヤ・ザ・シャツメーカー)が
アロハシャツを発明したわけではないので、
少々不正確ということになります。



(次回に続く)

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