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ハワイの新聞記事から その146 1984 ジョージ・ブランジエへのインタビュー(13) [ハワイの新聞記事から]

筆者が収集した、アロハシャツに関するハワイの新聞記事の中から、
面白そうなものをランダムに選び、翻訳してご紹介しています。

現在は引き続き、1984年に行われた、
カハラ共同創業者ジョージ・ブランジエへのインタビューを、
文字に起こしたものを翻訳しています。



George-Brangier (2).jpg

『ジョージ・ブランジエへのインタビュー(13)
インタビュー/ケン・プラット

ケン・プラット:服と言えば、デシャ法が可決されたのは、
あなたがハワイに来る前のことだと思います。

略式の水着を路上で着ることができないという、
水着に関するデシャ法を思い出しました。

ジョージ・ブランジエ:ええ、覚えていますよ。

アウトリガー・カヌー・クラブがここに引っ越してきたとき、
私は老婦人クラブに所属していました。

ケン・プラット:ウルニウ・スイミング・クラブですね。

ジョージ・ブランジエ:スイム・トランクスと
アンダーシャツを着ていないと、歩き回ることはできませんでした。

ケン・プラット:そのことは忘れていました。

ジョージ・ブランジエ:私たちはビーチに出て、それを脱いで、
またクラブに戻ってまた着ていました。

ケン・プラット:ところであなたは、
長年ウルニウ・スイミング・クラブの会員でしたよね。

ジョージ・ブランジエ:それほど長くはありません。
この場所に移ってきたときに参加しました。

ケン・プラット:そんなに遅くですか? 
私はてっきり、そのずっと前から参加していたものだと思っていました。』




話題は再び、服の話から離れてしまいました。

「デシャ法」というのは、調べてみましたがよくわかりませんでした。
ここに説明があるように、肌を過度に露出した状態で路上を歩くのを禁止した法律、
と考えておけばよさそうです。


また「ウルニウ・スイミング・クラブ」というのは、
アウトリガー・カヌー・クラブの、女性補助施設として設立されたもののようです。

Uluniu-1(1).jpg

(「Images of Old Hawaiʻi」より引用)

上のインタビューでは「老婦人クラブ」と表現されていますが、
こちらの記事 ↓ 

「ウルニウスイミングクラブ」
https://imagesofoldhawaii-com.translate.goog/uluniu-swimming-club/?_x_tr_sl=en&_x_tr_tl=ja&_x_tr_hl=ja&_x_tr_pto=sc

を読むと、
「当時は祖母だけが行った場所のようでした。」と書かれていて、
確かに、昔は「老婦人のための施設」だったようです。

「アウトリガー・カヌー・クラブの会員の妻たちが、
 クラブの前で海を楽しむことができるように」施設が作られた、
その結果、老婦人ばかりだった、ということではないでしょうか?

興味のある方は、上の記事をお読みください。


それにしても、アウトリガー・カヌー・クラブの初期は、
こんな感じ ↓ だったのですね。面白いですね。

アウトリガー・カヌー・クラブの初期の様子.jpg

アウトリガー・カヌー・クラブの初期の様子




このインタビューはまだしばらく続きます。
アロハシャツやカハラに関する面白い話が聞けるといいですね。


(次回に続く)

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