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ハワイの新聞記事から その145 1984 ジョージ・ブランジエへのインタビュー(12) [ハワイの新聞記事から]

筆者が収集した、アロハシャツに関するハワイの新聞記事の中から、
面白そうなものをランダムに選び、翻訳してご紹介しています。

現在は、1984年に行われた、
カハラ共同創業者ジョージ・ブランジエへのインタビューを、
文字に起こしたものを翻訳しています。



George-Brangier (2).jpg

『ジョージ・ブランジエへのインタビュー(12)
インタビュー/ケン・プラット

ケン・プラット:アウトリガー・カヌー・クラブは
それ(訳者補足:カハラの服の販売)からかなりのお金を稼ぎましたね。

ジョージ・ブランジエ:ええ、もちろん。

建物に棚を据え付けるために私は、その建物を設計したヴァル
(訳者補足:ウラジミール・"ヴァル"・オシポフ。米国の建築家)に
連絡を取らねばなりませんでした。

なぜなら”サリー”(ルイス・ハレ)がビーチ・サービスを運営していたとき、
すべての衣類が本社のそばの一室にあったからです。

だから、もし彼が、ツーピースのスーツを欲しがっている女の子に、
たまたま間違った色や間違ったサイズを持ってきたら、
彼はずっと行ったり来たりしなければなりませんでした。

そこで私は、端に荷物を積み上げておくための小さい収納室を作るように、
オシポフに依頼しました。

しかし、ウィンドウ・ディスプレーがあったので、
一度に複数のものを見せることができたのです。

私たちが最初に入れたのはデューク・カハナモク・ブランドのものだけでした。

紋章と厚い素材を覚えていますか?

ケン・プラット:ええ、もちろんです。

ジョージ・ブランジエ:女性用のツーピース・スーツ、
男性用のスイム・トランク、そしてシャツ、それだけです。

他のすべての商品を置くのに十分なスペースがなかったのです。』



少しわかりにくいので、補足しておきます。

まず、ヴァルというのは、ウラジミール・"ヴァル"・オシポフという建築家のことです。
ハワイで、主に住宅の設計をしていたそうで、
「リジェストランドハウス」という建物が彼の代表作とされています。
ウィキペディアに詳しい解説があります。

https://en-m-wikipedia-org.translate.goog/wiki/Liljestrand_House?_x_tr_sl=en&_x_tr_tl=ja&_x_tr_hl=ja&_x_tr_pto=sc

310px-LiljestrandHouse-makai-elevation.jpg

(ウィキペディアより引用)


その他の経歴(若いころ東京に住んでいたため日本語も堪能だったようです)など、
詳しくは、ウィキペディアの以下の説明をお読みください。

https://en-m-wikipedia-org.translate.goog/wiki/Vladimir_Ossipoff?_x_tr_sl=en&_x_tr_tl=ja&_x_tr_hl=ja&_x_tr_pto=sc



また、”サリー”(ルイス・ハレ)というのはワイキキのビーチボーイらしいです。

surfer.jpg

この写真の説明文には、
「船長の帽子をかぶったサーファー(写真右側)が
 おそらくビーチボーイのルイス・ハレ、通称"サリー"である。
 彼は1934年にアウトリガー・カヌー・クラブのビーチ・サービスと
 ゲスト・アメニティであるワイキキ・ビーチ・パトロールの"船長"になった」
と書かれています。
(『Surfing in Hawai'i: 1778-1930』から引用)



さて、そのあとに、「デューク・カハナモク・ブランド」の服についての記述があります。
ここは非常に重要ですね。

このエピソードは、何年ごろのことなのか、はっきりとは述べられていませんが、
「デューク・カハナモク・ブランド」の服が出てくるので、
同ブランドの第1期、すなわち1930年代後半のことだと推測できます。


そもそも「デューク・カハナモク・ブランド」の服は、4期にわたって作られました。
第1期が1930年代後半のカハラ製、
第2期が1950年から60年代前半のシスコ製、
第3期が1960年代のカハラ製、
第4期が1970年代のカタリナ製
です。


洋書『Hawaiian Shirt Designs』に、その第1期の製品の写真が掲載されています。
いわゆるパイナップル・ツイードの、無地の黄色っぽい生地で、
胸ポケットにハワイ王家の紋章の刺繍が入っています。
(プリントの柄などはなく、無地です)

筆者は、1938年の新聞広告でこれと同様のシャツを見かけたので、
それ以降の製品だと推測します。


アイテムとしては「女性用のツーピース・スーツ、
男性用のスイム・トランク、そしてシャツ」が売られていたと書かれています。
主にこのクラブで売るために、カハラ(ブランフリート)が作っていたのでしょう。

また、第1期にはデューク・ブランドのアロハシャツは作られなかったと思われます。




(次回に続く)

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