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ハワイの新聞記事から その144 1984 ジョージ・ブランジエへのインタビュー(11) [ハワイの新聞記事から]

筆者が収集した、アロハシャツに関するハワイの新聞記事の中から、
面白そうなものをランダムに選び、翻訳してご紹介しています。

現在は、1984年に行われた、
カハラ共同創業者ジョージ・ブランジエへのインタビューを、
文字に起こしたものを翻訳しています。



George-Brangier (2).jpg

『ジョージ・ブランジエへのインタビュー(11)
インタビュー/ケン・プラット

ジョージ・ブランジエ:このバイヤーは
小さなシャツメーカーのドレスを見て、
「プリントは素晴らしいと思います。私はそのドレスが好きです」と言いました。

そのプリントはモノトーンで、派手なところはなく、ただ落ち着いていて、
私自身、好きになりそうなものでした。

彼女は、「ニーマン・マーカスは、55ドル未満でコットンのドレスを
私たちに販売させようとはしないんですよ。」と言いました。

また「ニーマン・マーカスは私たちに長期の値上げをさせようとはしません。」とも
言いました。

それで私は「問題ありません。価格を2倍にします」と言いました。

すると彼女は、「わかりました。300着頂きます。」と言いました。

ケン・プラット:(笑い) お得ででしたね?

ジョージ・ブランジエ:私たちはすでに40パーセント作っていました!

ケン・プラット:1935年にハワイに来たとおっしゃいましたが、
それはビル・ムラヘイがビーチサービスをまとめていた頃ですよね? 

それについて何か覚えていますか?

ジョージ・ブランジエ:いいえ、覚えていません。
ああ、聞いたのをぼんやりと覚えていますが、よくは知りません。

ケン・プラット:実際、30年代前半に、
「トゥーツ」・マンヴィエイユは理事会に向かって話していて、
金鉱になるであろうビーチ・サービスの取引をまとめることができると述べました。

ジョージ・ブランジエ:新しいアウトリガー・クラブの下で。

ケン・プラット:そうです、そうです。

ジョージ・ブランジエ:いま、思い出してきました。

ケン・プラット:しかしその後、彼は約3年間モロカイに行き、
その間にビル・ムラヘイが入って来て、彼らはビルに立ち上げるように頼みました。

ジョージ・ブランジエ:その小さなオフィスに服を置いたのは私です。

ケン・プラット:そうなんですか?

ジョージ・ブランジエ:カハラ・スポーツウェアです。』




(次回に続く)

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