ハワイの新聞記事から その132 1958 カハラ・スポーツウェア社の新作紹介 [ハワイの新聞記事から]
筆者が収集した、アロハシャツに関するハワイの新聞記事の中から、
面白そうなものをランダムに選び、翻訳してご紹介しています。
今回もカハラに関する記事を翻訳します。
前回の記事と年が前後してしまいますが、
1958年の『ホノルル・アドヴァタイザー紙』に、
カハラ社の新作が紹介されています。
『カハラ・スポーツウェア社の新作紹介
カハラ・スポーツウェア社によるこのパジャマ・スーツは、
カクテル・ホステス・ウェアとしてベランダでくつろいだり、
あるいはお洒落な女子大学生がドミトリーで着たりするのに理想的であるが、
それは今年の秋と冬に向けた、同社の新しいデザインの1つである。
異なる生地に同じ柄のプリントを施すという流行に乗って、
デザイナーのゲイル・ズビックは、
コットン・サテンのブラウスと、細うねのコーデュロイのパンツとを作った。
中に入ったゴムが、長いブラウスの背中部分にたるみ効果を持たせつつ、
ヒップ周りの前側をこぎれいに保っている。
一方、丈が長くてぴったりしたパンツは、
今年とてもよく見かけるものであるが、
巧みにカットされている。
スーツはサイズ8号から18号まであり、約35ドルで小売りされている。
プリントには2種類の配色があり、1つは青と緑、もう1つは赤の濃淡である。
カハラ・スポーツウェア社はハワイで最も古く最も大きな衣料品会社の1つである。
社長はナット・ノーフリート氏で、パートナーのジョージ・ブランジエ氏が
財務担当の副社長である。
カハラは1936年に創業し、現在では100万ドルのビジネスとなっているが、
その90%は本土で売り上げている。』
1958年の女性物の紹介ではありますが、
いろいろな情報が入っているので、内容を整理しておきます。
まず、ゲイル・ズビックという人物がデザイナーを務めています。
デザイナーと言っても服の形をデザインする方のデザイナーのようなので、
テキスタイル・デザイナーではなく、また男性物のデザイナーでもなさそうですが、
覚えておいてもよい名前かもしれません。
また「異なる生地に同じ柄のプリントを施す」というのが「1958年の流行」のようです。
これも女性物だけの流行のようなので、アロハシャツには無関係かもしれませんが、
一応覚えておきましょう。
より重要なのは、1958年には「コットン・サテン」の生地がよく使われているようだ、
という事実です。
「コットン・サテン」はこれまで、ハワイでは1960年代に多く使われた生地だと
思われていた(少なくとも筆者はそう考えていた)のですが、
すでに1958年には流行の生地になりつつあったわけです。
これは年代特定の際に考慮しなくてはいけない点ですね。
そして、プリントの配色ですが、「青と緑」、「赤の濃淡」という部分も、
1958年という年と共に記憶しておくべきでしょう。
なぜなら色には流行があり、年によって変化するからです。
そのほかには、「ジョージ・ブランジエ氏が財務担当の副社長」であったことと、
「90%は本土で売り上げている」ということも重要な情報でしょう。
(次回に続く)
面白そうなものをランダムに選び、翻訳してご紹介しています。
今回もカハラに関する記事を翻訳します。
前回の記事と年が前後してしまいますが、
1958年の『ホノルル・アドヴァタイザー紙』に、
カハラ社の新作が紹介されています。
『カハラ・スポーツウェア社の新作紹介
カハラ・スポーツウェア社によるこのパジャマ・スーツは、
カクテル・ホステス・ウェアとしてベランダでくつろいだり、
あるいはお洒落な女子大学生がドミトリーで着たりするのに理想的であるが、
それは今年の秋と冬に向けた、同社の新しいデザインの1つである。
異なる生地に同じ柄のプリントを施すという流行に乗って、
デザイナーのゲイル・ズビックは、
コットン・サテンのブラウスと、細うねのコーデュロイのパンツとを作った。
中に入ったゴムが、長いブラウスの背中部分にたるみ効果を持たせつつ、
ヒップ周りの前側をこぎれいに保っている。
一方、丈が長くてぴったりしたパンツは、
今年とてもよく見かけるものであるが、
巧みにカットされている。
スーツはサイズ8号から18号まであり、約35ドルで小売りされている。
プリントには2種類の配色があり、1つは青と緑、もう1つは赤の濃淡である。
カハラ・スポーツウェア社はハワイで最も古く最も大きな衣料品会社の1つである。
社長はナット・ノーフリート氏で、パートナーのジョージ・ブランジエ氏が
財務担当の副社長である。
カハラは1936年に創業し、現在では100万ドルのビジネスとなっているが、
その90%は本土で売り上げている。』
1958年の女性物の紹介ではありますが、
いろいろな情報が入っているので、内容を整理しておきます。
まず、ゲイル・ズビックという人物がデザイナーを務めています。
デザイナーと言っても服の形をデザインする方のデザイナーのようなので、
テキスタイル・デザイナーではなく、また男性物のデザイナーでもなさそうですが、
覚えておいてもよい名前かもしれません。
また「異なる生地に同じ柄のプリントを施す」というのが「1958年の流行」のようです。
これも女性物だけの流行のようなので、アロハシャツには無関係かもしれませんが、
一応覚えておきましょう。
より重要なのは、1958年には「コットン・サテン」の生地がよく使われているようだ、
という事実です。
「コットン・サテン」はこれまで、ハワイでは1960年代に多く使われた生地だと
思われていた(少なくとも筆者はそう考えていた)のですが、
すでに1958年には流行の生地になりつつあったわけです。
これは年代特定の際に考慮しなくてはいけない点ですね。
そして、プリントの配色ですが、「青と緑」、「赤の濃淡」という部分も、
1958年という年と共に記憶しておくべきでしょう。
なぜなら色には流行があり、年によって変化するからです。
そのほかには、「ジョージ・ブランジエ氏が財務担当の副社長」であったことと、
「90%は本土で売り上げている」ということも重要な情報でしょう。
(次回に続く)
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