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ハワイの新聞記事から その131 1971 衣料品の開拓者ナット・ノーフリート氏が死去 [ハワイの新聞記事から]

筆者が収集した、アロハシャツに関するハワイの新聞記事の中から、
面白そうなものをランダムに選び、翻訳してご紹介しています。

今回もカハラつながりでご紹介します。
1971年9月の『ホノルル・スターブリトゥン紙』に掲載された新聞記事で、
カハラ社の共同創業者ナット・ノーフリート氏の死去が報じられています。



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『衣料品の開拓者ナット・ノーフリート氏が死去

 1930年代に最初の「アロハシャツ」の1つを創作するために、
シルクのキモノ地にココナッツボタンを縫い付けた男、ナット・ノーフリート氏が、
昨夜、マウナラニ・ナーシングホームで死去した。68歳であった。

 ホノルルの初期の衣料品メーカーの1つ、
カハラ・スポーツウェア社の共同創業者であるノーフリート氏は、
百万ドルのビジネスを息子のナット・ジュニアに託している。

 しかし、彼がジョージ・ブランジエと共にビジネスを始めた1930年代には、
「私たちはほかのほとんど全ての人と同様、
一対の靴ひもからではなく、私たちの間の一本の靴ひもから、
ビジネスを始めました。」と、ノーフリート氏はインタビューの中で語った。

 そしてそれらの最初のアロハシャツは「全くもってひどいもの」であったと
ノーフリート氏は言っている。

 レッド・マックイーンが1932年の日本でのオリンピックから持ち帰った
シルクのキモノの生地から何枚かのシャツが作られるのを彼が見て、
アロハシャツのアイデアは生まれた。

 カハラ・スポーツウェア社はそれらをコピーした。

ココナッツボタンを付け加えて。

そして出来上がったシャツはエルマー・リーによって地元で販売された。

その彼は昔のアウトリガーカヌー・クラブの前に売店を持っており、
そこでココナッツミルクとパイナップルのジュースと、
「私たちの、ぞっとするようなシャツ」を売ったのだとノーフリート氏は言った。』




今回は、ナット・ノーフリート氏の訃報です。

とは言っても、内容は、以前このブログでもご紹介した、
1968年の新聞記事から引用した
(かつてのカハラ社がしたのと同様に「コピーした」だけの)ものとなっていて、
残念ながら目新しいことは書かれていません。


ともかく、1971年9月に、68歳という若さで死去したという事実を確認しておけば
それでいいでしょう。




(次回に続く)

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