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ハワイの新聞記事から その123 1968 ファッションの父子チームは未来を見る(2) [ハワイの新聞記事から]

筆者が収集した、アロハシャツに関するハワイの新聞記事の中から、
面白そうなものをランダムに選び、翻訳してご紹介しています。

前回から、1968年に『ホノルル・アドヴァタイザー紙』に掲載された、
カハラ・スポーツウェア社に関する記事を翻訳しています。



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ファッションの父子チームは未来を見る(2)
文/ホープ・デニス
(ホノルル・アドヴァタイザー紙ファッション・ライター)

 「私たちはほかのほとんどみんなと同様、一対の靴ひもからではなく、
私たちの間の一本の靴ひもから、ビジネスを始めました。」と、
年長のノーフリートは思い出して語った。

「レッド・マックイーンが1932年の日本でのオリンピックから、
シルクのキモノ地でできたシャツを何枚か持ち帰っていました。

私たちは最初のアロハシャツを生産するためにそれらをコピーしました。」

 「そのシャツは全くもってひどいものでしたが、
エルマー・リーが昔のアウトリガーカヌー・クラブの前に売店を持っていて、
そこでココナッツミルクとパイナップルのジュースを売っていたので、
そのぞっとするようなシャツを売ってもらったのです。」

 「最初のツーピースのスイムスーツのために、
小さな衣料品メーカー、リンズ・オブ・ワイキキに
信用借りしなくてはなりませんでした。

水兵たちはその前から、自分のセイラー・パンツを、
スイム・ショーツとして使うためにちょん切り始めていましたよ。

こうして『セイラー・モク』が始まったのです。

その後、女の子たちも欲しがったのでリンズはブラを付けたしました。」



リンズ・オブ・ワイキキ
(正確にはリンズ・アット・ワイキキだったと思います)というのは、
ムサシヤ・ザ・シャツメーカー(宮本の方)と同じように、
オーダーメイドでシャツを作っていたショップで、
アロハシャツを最初に作ったとも言われている伝説のシャツメーカーです。

ハリウッドスターたちは、ハワイに来て、
ムサシヤやリンズでオーダーしていたのですが、
どちらの店が最初にアロハシャツを作っていてもおかしくはなく、
ただどちらが先かを証明できないだけなのです。



(次回に続く)

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