ハワイの新聞記事から その63 1947 ポリネシアン・デザインの生地は大規模な製造業に(3) [ハワイの新聞記事から]
筆者が収集した、アロハシャツに関するハワイの新聞記事の中から、
面白そうなものをランダムに選び、翻訳してご紹介しています。
現在は、『パラダイスオブザパシフィック誌』に掲載された、
1947年頃(正確な掲載年月日は不明)の記事を翻訳しています。
ある生地プリントメーカーの話です。
『ハワイの新産業
真正のポリネシアン・デザインの生地はいま、大規模な製造業である(3)』
第二次世界大戦が始まると、
彼(訳者補足:ハワイアン・ハンド・プリンツ社社長のハル・ウィルコック氏)は、
戦時労働に従事するため西海岸に戻ったが、
ポリネシア美術と、商業デザイン分野でのポリネシア美術の可能性への
興味を持ち続けた。
パラマウント・スタジオで上席デザイナーとして勤務しながら、
彼は調査と染色試験に5年を費やし、
ついには「日光と洗濯で色褪せない」と保証できる
プリント生地を作る方法を完成させた。
そしてハリウッドの自身の研究室で
彼は週に1万5000ヤード(訳注:約1万3716メートル)のプリント生地を
生産していた。
それらはモダンでトロピカルなプリントであった。』
ウィルコックス氏がイーゼルの前に立つ。
そしてそのイーゼルの上に載っているのは、
ニューギニア由来の銛の木彫を元にしたデザインである。
ヴィンテージ・アロハシャツで、
このようなプリミティブなポリネシア柄
(いわゆるタパ柄とは少し違うように思います)はあまり見かけませんが、
「カワイハウ」の織ネームが付いたレーヨンのアロハシャツに、
この手の柄があったように記憶しています。
(次回に続く)
面白そうなものをランダムに選び、翻訳してご紹介しています。
現在は、『パラダイスオブザパシフィック誌』に掲載された、
1947年頃(正確な掲載年月日は不明)の記事を翻訳しています。
ある生地プリントメーカーの話です。
『ハワイの新産業
真正のポリネシアン・デザインの生地はいま、大規模な製造業である(3)』
第二次世界大戦が始まると、
彼(訳者補足:ハワイアン・ハンド・プリンツ社社長のハル・ウィルコック氏)は、
戦時労働に従事するため西海岸に戻ったが、
ポリネシア美術と、商業デザイン分野でのポリネシア美術の可能性への
興味を持ち続けた。
パラマウント・スタジオで上席デザイナーとして勤務しながら、
彼は調査と染色試験に5年を費やし、
ついには「日光と洗濯で色褪せない」と保証できる
プリント生地を作る方法を完成させた。
そしてハリウッドの自身の研究室で
彼は週に1万5000ヤード(訳注:約1万3716メートル)のプリント生地を
生産していた。
それらはモダンでトロピカルなプリントであった。』
ウィルコックス氏がイーゼルの前に立つ。
そしてそのイーゼルの上に載っているのは、
ニューギニア由来の銛の木彫を元にしたデザインである。
ヴィンテージ・アロハシャツで、
このようなプリミティブなポリネシア柄
(いわゆるタパ柄とは少し違うように思います)はあまり見かけませんが、
「カワイハウ」の織ネームが付いたレーヨンのアロハシャツに、
この手の柄があったように記憶しています。
(次回に続く)
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