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リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』その54 1945年~1950年代半ばの文化的背景(5) [リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』]

元ハワイ大学教授のリンダ・アーサー氏が書いた
『20世紀のアロハ服』という本の翻訳をお届けしています。

現在は「1945年~1950年代半ばの文化的背景」について語られています。


『第5章「1945年~1950年代半ば
     :クラシック・シルキーズ(古典的レーヨン羽二重)

  文化的背景(5)

(続)
最初のアロハウィークは人々の手に祭りを取り戻した。

それは1947年10月に、ワイキキに近いアラモアナ公園で開催された。

ボランティアの人たちが本物のハワイの村を建設し、
そこで、古代のスポーツやホロク舞踏会や花の行列やマカヒキ
(訳注:ハワイ先住民の、新年から4か月間の収穫を祝う休息の期間 )
の祭りが行われた。

数百人のハワイアンが王族を演じるマカヒキの祭りを見るために
8000人以上の人々が足を運んだ。

経済的側面から見るなら、
アロハウィークの発展は意味のあるビジネス的決断であった。

というのも、アロハウィークは10月に設定されたのであるが、
10月は観光旅行が低調であり、
その月の観光客を惹きつけるべく設計されたからである。

しかも観光業だけでなく、ハワイのファッション産業も恩恵を受けるのである。』




1947年に始まったアロハウィークは、
観光業だけでなく、ハワイのファッション産業にも恩恵を与えた、と
書かれています。

実際、アロハシャツがハワイに定着するのに、
アロハウィークは大きな役割を果たしたと言えるでしょう。

まず、こちら ↓ の新聞広告をご覧下さい。

S1947.10.23 The Fair.jpg

(筆者コレクションより)

この中で「“ALOHA“ SHIRTS」と、カッコ付きで表現しているところが注目点です。

そもそも「アロハシャツ」という名称は、
キングスミスが商標登録しているブランド名であり商品名であるということは、
以前にも何度か述べたことがあります。
そのため、他の店がこの名称を使うわけにはいきません。
そのまま使えば、最悪、訴えられたことでしょう。

ところが上の広告では、
「『アロハウィーク』のお祭り期間中は
 『アロハシャツ』の快適さを楽しみましょう」と書くことで、
「アロハシャツ」は「アロハウィーク(の期間中に着る)シャツ」の意味であると
受け取れるような、言い訳しているような感じに見えるのです。

そして、そのような意味でアロハシャツという名称を使う店が少しずつ増えていき、
翌1948年には、なし崩しのようにして「一般名称」化していくのです。

そのような趨勢の中で、キングスミスがどのような行動に出たのか、
抗議したのか、逆にアロハウィーク実行委員会から説得されたのか、
あるいは特に何もせず状況を受け入れたのか、
そのあたりの事情は明らかになっておらず、想像するしかありません。

筆者は、強く権利を主張することなく受け入れたのではないかと推測しています。
そして一般名称化したからこそ、この呼び名が定着し、
アロハシャツ的なものも世界に広まったと言えると、筆者は思うのです
(もしも権利を主張して他店に使わせなかったら、
 現在のようには広まらなかったでしょう)。


また、この広告のイラストにもご注目ください。
柄はよくわかりませんが、
「長袖」で、「裾はスラックスの中に入れている」のです。

つまり、アロハウィークが始まったこの年はまだ、「ラフに着るもの」ではなく、
「礼儀正しく着るもの」だったと言えるのではないでしょうか?




(次回に続く)

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