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リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』その33 1930年代~1945年の布地(6) [リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』]

元ハワイ大学教授のリンダ・アーサー氏が書いた
『20世紀のアロハ服』という本の翻訳をお届けしています。

現在は、「1930年代~1945年の布地」に関する記述をお届けしています。
今回は「第二次世界大戦中のハワイでの布地事情」です。



『第4章「1930年代~1945年

  布地(6)

 第二次世界大戦中はハワイ・米国間の輸送が削減され、
このことが、輸入も輸出もできない衣料品産業にとっての
ある種のお膳立てをすることとなった。

すなわち生地を地元でプリントしなければならなくなったのである。

西洋式の服の輸入量が乏しかったため、
ハワイではアロハ服が地元住民に、より人気となった。

観光客や軍関係者はしばらく前からすでにアロハシャツに馴染んでいたが、
ハワイの人々も、ほかの選択肢がなかったため、
彼ら同様にアロハシャツを受け入れ始めた。

ハワイで生産されたハワイ柄プリント生地は縫われて、
アロハシャツだけでなく女性服にもなった。

ムームーは、ひとたびハワイ柄のプリント地で作られるようになると、
もはや家庭着とは見なされなくなった。

同様にホロクも、戦時中及び戦後はハワイ柄のプリント地で作られた。』



第二次世界大戦中は、プリント生地が米国本土から入ってこなくなったため、
ハワイでプリントし始めたそうです。

プリント生地が手に入らないのなら、無地の布地で我慢すればいいのにと
筆者などは思ってしまいますが、
ハワイの人は柄物を着たかったのでしょうかね。

実はこの手のアロハシャツはほとんど残っていないため、
どのようなものだったか、正確にはわからないのですが、
こちらの「フラガール柄のテーブルクロス」 ↓ にあるようなプリントが

indigodenimjp-img600x450-1181888534032.jpg

https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/n51883949

胸にワンポイントで入っているアロハシャツを、一度だけ見たことがあります。

また、スタンプのような「ブロック・プリント」で、
縦に柄が連なっている、タパ柄のアロハシャツも見たことがあります。

ちなみにブロック・プリントというのは、こんな ↓ 感じです。

03.jpg

(インドでの様子。https://www.makhana.jp/items/29716082より引用)



さて、上の記述に戻ります。

「観光客や軍関係者はしばらく前からすでにアロハシャツに馴染んでいたが、
ハワイの人々も、ほかの選択肢がなかったため、
彼ら同様にアロハシャツを受け入れ始めた。」
という部分についてですが、
「ほかの選択肢がなかったため」、「受け入れ始めた」という記述に
筆者は少々違和感を覚えるのです。

ハワイの人も戦争前からアロハシャツに馴染んでいたと考えています。
例えばこちら ↓ は、作業するプナホー高校の生徒(1941年1月)です。
これも一種のタパ柄で、戦前の製品だと思われます。

1941.01 プナホー高校の生徒.jpg

(筆者コレクションより)

戦前から普及していたと考える一方で、もしかしたら、
「若者はアロハシャツに馴染んでいたけれど、
 大人の男性、特に固い職業の人は、白無地の開襟シャツなどを着ることが多く、
 アロハシャツはまだ一般的ではなかった」
のかもしれないという気もしてきました。


戦時中のアロハシャツ事情は、新聞記事などを見てもよくわからず、
いまだに謎が多いのです。




(次回に続く)

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