リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』その10 20世紀初頭 布地と服の生産(3) [リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』]
元ハワイ大学教授のリンダ・アーサー氏が書いた
『20世紀のアロハ服』という本の翻訳をお届けしています。
現在は、「20世紀初頭」の章の、「布地と服の生産」という部分を翻訳しています。
『第3章 20世紀初頭
布地と服の生産(3)
ほとんどの服が家庭で作られていた一方、
ムサシヤ・ザ・シャツメーカーのようなオーダーメードのテーラーが、
着物やハッピ・コートやアジア式衣料はもちろんのこと、
西洋式の男性向けシャツも作り始めていた。
1920年代に作られたほとんどすべての服はシルク又はコットン製であった。
また帽子は太陽を遮るのに必要であり、
それらはラウハラ編みによって作られていたのだが、
帽子を見慣れた人からすれば、
被っている人がどんな仕事をしているかはすぐにわかったのである。』
ムサシヤ・ザ・シャツメーカーは、ホノルルでも最も古いシャツ店の1つです。
こちら ↓ が、ムサシヤ・ザ・シャツメーカーの「ムサシヤさん」こと、
宮本孝一郎氏です。
また、こちら ↓ は、ムサシヤ・ザ・シャツメーカーの、1920年代の新聞広告を
まとめて冊子にしたものです。
(worthpointの出品物より引用。
https://www.worthpoint.com/worthopedia/1923-musa-shiya-shirtmaker-broke-1878526502)
シャツ以外にもハッピなども作っていました(ハッピ・コートとして販売)。
ところで1920年代にムサシヤ・ザ・シャツメーカーがアロハシャツを作っていたかは、
証拠がないため、わかりません。
基本的にはオーダーメードの店なので、客から「アロハシャツ(のようなもの)」を
作ってほしいと言われれば作ったかもしれません。
「作らなかった」と全否定することはできないわけです
(ただし、1920年代には「アロハシャツ」という言葉は使われていませんでした)。
ところで、アロハシャツという言葉を最初に広告で使った
(そのため確認しうる最初の例となる)のは、
ムサシヤ・ザ・シャツメーカーから店舗を買った
「ムサシヤ・ショウテン」です。
こちら ↓ が最初の新聞広告になります。
どちらもムサシヤなので混同しやすいですが、別の店になります。
(次回に続く)
『20世紀のアロハ服』という本の翻訳をお届けしています。
現在は、「20世紀初頭」の章の、「布地と服の生産」という部分を翻訳しています。
『第3章 20世紀初頭
布地と服の生産(3)
ほとんどの服が家庭で作られていた一方、
ムサシヤ・ザ・シャツメーカーのようなオーダーメードのテーラーが、
着物やハッピ・コートやアジア式衣料はもちろんのこと、
西洋式の男性向けシャツも作り始めていた。
1920年代に作られたほとんどすべての服はシルク又はコットン製であった。
また帽子は太陽を遮るのに必要であり、
それらはラウハラ編みによって作られていたのだが、
帽子を見慣れた人からすれば、
被っている人がどんな仕事をしているかはすぐにわかったのである。』
ムサシヤ・ザ・シャツメーカーは、ホノルルでも最も古いシャツ店の1つです。
こちら ↓ が、ムサシヤ・ザ・シャツメーカーの「ムサシヤさん」こと、
宮本孝一郎氏です。
また、こちら ↓ は、ムサシヤ・ザ・シャツメーカーの、1920年代の新聞広告を
まとめて冊子にしたものです。
(worthpointの出品物より引用。
https://www.worthpoint.com/worthopedia/1923-musa-shiya-shirtmaker-broke-1878526502)
シャツ以外にもハッピなども作っていました(ハッピ・コートとして販売)。
ところで1920年代にムサシヤ・ザ・シャツメーカーがアロハシャツを作っていたかは、
証拠がないため、わかりません。
基本的にはオーダーメードの店なので、客から「アロハシャツ(のようなもの)」を
作ってほしいと言われれば作ったかもしれません。
「作らなかった」と全否定することはできないわけです
(ただし、1920年代には「アロハシャツ」という言葉は使われていませんでした)。
ところで、アロハシャツという言葉を最初に広告で使った
(そのため確認しうる最初の例となる)のは、
ムサシヤ・ザ・シャツメーカーから店舗を買った
「ムサシヤ・ショウテン」です。
こちら ↓ が最初の新聞広告になります。
どちらもムサシヤなので混同しやすいですが、別の店になります。
(次回に続く)
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