ハワイの衣料品製造業の歴史 その257 1946年~49年 ホロムーその他の、終戦後初期のハワイアン・ポリネシアン・タイプの衣料品(3) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]
ファンダバーク教授の本『ハワイの衣料品製造業の歴史』の翻訳をお届けしています。
この章「ハワイで製造される衣料品の種類」では、衣料品のタイプ別に語られており、
現在は、「終戦後初期」の服のタイプについての部分です。
『1946年~49年 ホロムーその他の、終戦後初期の
ハワイアン・ポリネシアン・タイプの衣料品(3)
1947年のアロハ・ウィークの広告の中で言及されている主なアイテムには、
ホロク、ハワイアン・プリントのシャツすなわち「アロハ」シャツ、
サロン・ドレス、スイム・スーツなどがある。
1947年のハワイの小売店の広告の大部分は
「アロハ」シャツまたは「プリント柄のスポーツ」シャツを
宣伝しようとするものであった。
例えば1947年10月22日付ホノルル・スターブリトゥン紙に載ったクレイマーズの広告には
次のような宣伝文句が見られる。
「アロハ・ウィークに着るシャツとして、
ハワイアン・プリントの新しくてカラフルな品揃えをお見せしましょう。
素材はコットン、フレンチ・クレープ、レーヨン、富士絹になります。」
またハレ・ニウ・スポーツウェアの広告には次のような宣伝文句が見られる。
「アロハ・ウィーク! 典型的だが普通ではない
ハワイ柄の最新スポーツ・シャツを一堂に。」
さらに1947年10月23日付ホノルル・スターブリトゥン紙に載ったある広告は宣言する。
「ハワイアン・プリントのスポーツ・シャツを着てアロハ・ウィークを祝いましょう。」
1947年10月の広告のほとんどはハワイアン・プリントのシャツの販売を強調しているが、
その一方で、1947年10月22日付ホノルル・スターブリトゥン紙に載った
ワットムルスの記事広告は次のように述べている。
「とてもハワイ的です。
マロロ(訳注:トビウオ)柄のプレースーツ、アロハ・ウィーク用。」』
1947年のハワイの小売店の広告では、アロハシャツの広告が多かったと述べています。
そしてその中の1つ、クレイマーズの広告では、素材について
「コットン、フレンチ・クレープ、レーヨン、富士絹」と書かれていたということです。
フレンチ・クレープというのは壁縮緬に似た縮緬素材の一種で、米国本土製の生地です。
また富士絹は明らかに日本の生地で、時代から言って古典的な和柄だったでしょう。
(鶴、兜、富士山など)
戦後2年しか経っていないこの時期に、日本製の富士絹がハワイに入っていたというのは
驚くべきことです。
ここで思い出したのが高吹勇(旧イオラニやパリ・ハワイアンの製造者)のことです。
日系二世だった彼は二重国籍を利用して、
戦後早い時期から日本の生地をハワイに入れていたという話を
以前聞いたことがあります。
彼だけではなかったかもしれませんが、彼のような人が、
少量の生地を日本から輸入していたのではないかと筆者は考えています。
最後に1点だけ補足しておきます。
ファンダバーク教授は「ハワイアン・プリントのシャツすなわち『アロハ』シャツ」と
表記しています。
これは、前回のブログで解説したように、
「アロハ」というのがキング・スミスの登録商標であったため、
多くの店はアロハシャツと言う表記を避けて、
「ハワイアン・プリントのシャツ」と表記していたわけですが、
それはつまり、今日で言うところの「アロハシャツ」と同じものを指しますよ、
ということを言おうとしているのだと思います。
(次回に続く)
この章「ハワイで製造される衣料品の種類」では、衣料品のタイプ別に語られており、
現在は、「終戦後初期」の服のタイプについての部分です。
『1946年~49年 ホロムーその他の、終戦後初期の
ハワイアン・ポリネシアン・タイプの衣料品(3)
1947年のアロハ・ウィークの広告の中で言及されている主なアイテムには、
ホロク、ハワイアン・プリントのシャツすなわち「アロハ」シャツ、
サロン・ドレス、スイム・スーツなどがある。
1947年のハワイの小売店の広告の大部分は
「アロハ」シャツまたは「プリント柄のスポーツ」シャツを
宣伝しようとするものであった。
例えば1947年10月22日付ホノルル・スターブリトゥン紙に載ったクレイマーズの広告には
次のような宣伝文句が見られる。
「アロハ・ウィークに着るシャツとして、
ハワイアン・プリントの新しくてカラフルな品揃えをお見せしましょう。
素材はコットン、フレンチ・クレープ、レーヨン、富士絹になります。」
またハレ・ニウ・スポーツウェアの広告には次のような宣伝文句が見られる。
「アロハ・ウィーク! 典型的だが普通ではない
ハワイ柄の最新スポーツ・シャツを一堂に。」
さらに1947年10月23日付ホノルル・スターブリトゥン紙に載ったある広告は宣言する。
「ハワイアン・プリントのスポーツ・シャツを着てアロハ・ウィークを祝いましょう。」
1947年10月の広告のほとんどはハワイアン・プリントのシャツの販売を強調しているが、
その一方で、1947年10月22日付ホノルル・スターブリトゥン紙に載った
ワットムルスの記事広告は次のように述べている。
「とてもハワイ的です。
マロロ(訳注:トビウオ)柄のプレースーツ、アロハ・ウィーク用。」』
1947年のハワイの小売店の広告では、アロハシャツの広告が多かったと述べています。
そしてその中の1つ、クレイマーズの広告では、素材について
「コットン、フレンチ・クレープ、レーヨン、富士絹」と書かれていたということです。
フレンチ・クレープというのは壁縮緬に似た縮緬素材の一種で、米国本土製の生地です。
また富士絹は明らかに日本の生地で、時代から言って古典的な和柄だったでしょう。
(鶴、兜、富士山など)
戦後2年しか経っていないこの時期に、日本製の富士絹がハワイに入っていたというのは
驚くべきことです。
ここで思い出したのが高吹勇(旧イオラニやパリ・ハワイアンの製造者)のことです。
日系二世だった彼は二重国籍を利用して、
戦後早い時期から日本の生地をハワイに入れていたという話を
以前聞いたことがあります。
彼だけではなかったかもしれませんが、彼のような人が、
少量の生地を日本から輸入していたのではないかと筆者は考えています。
最後に1点だけ補足しておきます。
ファンダバーク教授は「ハワイアン・プリントのシャツすなわち『アロハ』シャツ」と
表記しています。
これは、前回のブログで解説したように、
「アロハ」というのがキング・スミスの登録商標であったため、
多くの店はアロハシャツと言う表記を避けて、
「ハワイアン・プリントのシャツ」と表記していたわけですが、
それはつまり、今日で言うところの「アロハシャツ」と同じものを指しますよ、
ということを言おうとしているのだと思います。
(次回に続く)
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