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ハワイの衣料品製造業の歴史 その258 1946年~49年 ホロムーその他の、終戦後初期のハワイアン・ポリネシアン・タイプの衣料品(4) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]

ファンダバーク教授の本『ハワイの衣料品製造業の歴史』の翻訳をお届けしています。

この章「ハワイで製造される衣料品の種類」では、衣料品のタイプ別に語られており、
現在は、「終戦後初期」の服のタイプについての部分です。



『1946年~49年 ホロムーその他の、終戦後初期の
         ハワイアン・ポリネシアン・タイプの衣料品(4)

 「アロハ」という単語は1930年代以来、
ハワイ製のプリント・シャツと関連付けられてきたが、
「アロハ」シャツという単語は、
1948年のアロハ・ウィークの宣伝まで一般には広告に使われてこなかった。

1948年以前には、ハワイの広告は
スポーツ・シャツという単語でアロハシャツに言及してきたのである。

 一方ハワイの広告は、1948年には頻繁にムームーに言及した。

パケ・ジャケットやパケ・シャツに言及したものもいくつかある。

ワットムルスは1947年と48年には、ハワイアン・ポリネシアン・スタイルの服の広告を、
他の小売店よりもはるかにたくさん掲載したように見えるが、
他の小売企業もまた、アロハ・ウィーク用のハワイアン・ポリネシアン・スタイルの服を、
祭り前の年前半に広告した。

1940年代後半に創作された、ハワイアン・ポリネシアン・スタイルの服の1つが
「ホロムー」、つまり、後ろに長く引いた裾がない、
体にフィットした長いドレスである。』



その255とその256の回に、アロハシャツという単語についてコメントしましたが、
今回のファンダバーク教授の記述に、同じことが書かれています。

「『アロハ』シャツという単語は、1948年のアロハ・ウィークの宣伝まで
 一般には広告に使われてこなかった。」
「1948年以前には、ハワイの広告はスポーツ・シャツという単語で
 アロハシャツに言及してきた」
そうです。

その理由として、キング・スミスの存在があることには触れられていませんが、
「アロハ」シャツという表記をしているところからも、
キング・スミスの商標のせいであるとほのめかしています。

また、「1948年のアロハ・ウィークの宣伝」がその境目であると述べられていますが、
どのような環境の変化があったのかについては語られていません。
ただ、手記や日記のようなものが残っていなければ、
その当時の時代背景を正確に描くのは難しいでしょう。


最後の部分に「ホロムー」のことが書かれています。
ホロムーについては、こちらのサイト ↓ の文章と画像を引用しておきます。

「ムームーレインボー」 https://muumuurainbow.com/5937/

  (宣教師がハワイに持ち込んだ)当時の西洋のドレスは
  コルセットなどで絞った細身のドレスでした。
  ・・・ホロムーがムームーへと進化していったと考えられます。

  ムームーレインボー.jpg

  (ムームーレインボーのHPより引用)

このようなドレスがホロムーと呼ばれるものです。
「後ろに長く引いた裾がない、体にフィットした長いドレス」です。

これに対して裾が長いドレスはホロクと呼ばれます。

ホロク.jpg




(次回に続く)

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