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ハワイの衣料品製造業の歴史 その250 1922年~1947年 衣料品の主な種類(2) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]

ファンダバーク教授の本『ハワイの衣料品製造業の歴史』の翻訳をお届けしています。

新しい章「ハワイで製造される衣料品の種類」では、
衣料品のタイプ別に語られていきます。



『1922年~1947年 衣料品の主な種類(2)

 ホノルル・スターブリトゥン紙のマーギー・ストーンのインタビューの中で、
カメハメハ・ガーメント社(同社は1936年に操業を開始した)の社長
ハーバート・ブライナーは、
「明るい色の日本のプリント生地で作られたシャツ」は
裾をスラックスの外に出して着るものだったが、
そのようなシャツはホノルルで1930年代半ばまでには着られていた、と語った。

そしてそのようなシャツはテーラーでオーダーメードされており、
また非常に人気があったため「メーカーや小売店も真似して
卸販売できるほどの数のシャツを作り始めた」。

 第二次世界大戦が始まるまでハワイのファッションは
主に日本のプリント生地でまだ作られ続けていたとブライナーは言う。

しかし戦争とともにハワイで生地にプリントする必要がでてきた。

無地の布地に比較的大きな柄をブロック・プリントすることでプリントを行った。

そのようなブロック・プリントの最初の柄は、
「けばけばしくて極端に明るい色のフラガールやヤシの木と、そのハワイ語」が
描かれていた。

ちなみにそのような柄はチョップスイ柄と呼ばれている。』



かなり前の部分でも出てきた内容ですが、
上の文章では最初期のアロハシャツのことが書かれています。

「明るい色の日本のプリント生地で作られたシャツ」というのがそれです。
着物に使われるような花柄の(おそらくシルクの縮緬の)日本製生地です。

ただしその生地は、幅の狭い、着物の生地そのものではなく、
ガウンなどにするために幅の広い生地として作られ、
日本から輸出されたものだと筆者は考えています。

当時のアロハシャツは所有していないためお見せすることができませんが、
「明るい色の日本のプリント生地」と同種のものをお見せしようと思います。

s-DSCN9131.jpg

DSCN9141.JPG

(筆者コレクションより)

これは筆者が骨董市で購入した子供用の着物(半纏)です。
明るい色の日本のプリント生地とはこのようなものだったと思います。

花の種類はハワイのものとはもちろん異なりますが、
当時のハワイの人がこんな花柄の着物の生地をたまたま見つけ、
それが、燦燦と太陽が照り付けるハワイの土地に合いそうだったため、
シャツに仕立ててみた、という感じでしょうか?

最初のうちはまだ、ハワイの花を描いたプリント生地は作られていなかったため、
このような花柄の着物の生地で代用していたようですが、
その後、ハイビスカスやプルメリアなどのハワイの花や、
サーファーやフラガール、ヤシの木や熱帯の魚などのハワイの風物を描いた、
「本当のハワイ柄」のプリント生地が次第に作られるようになり、
それらを使って、いま我々が「アロハシャツ」としてイメージするようなシャツが、
1930年代後半頃に作られるようになっていくのです。



(次回に続く)

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