ハワイの衣料品製造業の歴史 その246 1961年 ハイファッションの布地(7) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]
ファンダバーク教授の本『ハワイの衣料品製造業の歴史』の翻訳をお届けしています。
現在は、「戦中・戦後編」の章を少しずつ翻訳しているところです。
今回も引き続き、プリント生地についての話題となります。
『1961年 ハイファッションの布地(7)
”「当社は、色の透明感が改良された新しい染料をたくさん使っています。
そして興味深い表面感や珍しい効果を狙って、
新しい布を使い実験してもいます。」とケニー女史は言った。”
”ヴォン・ハム・ヤング社のスクリーン・プリント工場はマカハにあり、
イチノセ式(訳注:1937年創業の日本の捺染機メーカー 、東伸工業のブランド)
スクリーン捺染機を備えている。
その捺染機は複雑な柄のプリントを行うことができ、
1時間に300ヤードのプリントをこなす。”
”同社はハワイだけでなく、日本や本土でもプリントを行っている。” 』
イチノセ(一ノ瀬)式スクリーン捺染機の名前は、
筆者が取材した他のプリント工場でも聞いたことがあり、
かなり有名な機械のようです。
「スクリーン捺染機」と言っても、大きく分けて2種類があり、
東伸工業のホームページでも2種類が紹介されています。
ヴォン・ハム・ヤング社がそのどちらを使っていたのかは定かではありません。
1つは「フラット型自動スクリーン捺染機」、
(東伸工業のホームページより、最新式の画像を引用)
もう1つは「ロータリースクリーン捺染機」
(東伸工業のホームページより、最新式の画像を引用)
です。
フラット型自動スクリーン捺染機は、手捺染の仕組みをそのまま機械に置き換えたもので、
スクリーンがフラット(平面的)になっています。
古くからあるタイプなので、
ヴォン・ハム・ヤング社の捺染機はおそらくこちらのタイプでしょう。
それに対してロータリースクリーン捺染機は、スクリーンが筒状になっています。
フラット型より高速でプリントできる機械です。
さて、今回で、モリー・ケニー女史が語る、プリント生地の話の項目は終わりです。
また、「戦中・戦後編」の章も終わりとなります。
「戦中・戦後編」の章に長い間お付き合いくださり、ありがとうございました。
次回からは、次の章となり、タイプ別分類の紹介となります。
もうしばらくお付き合いください。
(次回に続く)
現在は、「戦中・戦後編」の章を少しずつ翻訳しているところです。
今回も引き続き、プリント生地についての話題となります。
『1961年 ハイファッションの布地(7)
”「当社は、色の透明感が改良された新しい染料をたくさん使っています。
そして興味深い表面感や珍しい効果を狙って、
新しい布を使い実験してもいます。」とケニー女史は言った。”
”ヴォン・ハム・ヤング社のスクリーン・プリント工場はマカハにあり、
イチノセ式(訳注:1937年創業の日本の捺染機メーカー 、東伸工業のブランド)
スクリーン捺染機を備えている。
その捺染機は複雑な柄のプリントを行うことができ、
1時間に300ヤードのプリントをこなす。”
”同社はハワイだけでなく、日本や本土でもプリントを行っている。” 』
イチノセ(一ノ瀬)式スクリーン捺染機の名前は、
筆者が取材した他のプリント工場でも聞いたことがあり、
かなり有名な機械のようです。
「スクリーン捺染機」と言っても、大きく分けて2種類があり、
東伸工業のホームページでも2種類が紹介されています。
ヴォン・ハム・ヤング社がそのどちらを使っていたのかは定かではありません。
1つは「フラット型自動スクリーン捺染機」、
(東伸工業のホームページより、最新式の画像を引用)
もう1つは「ロータリースクリーン捺染機」
(東伸工業のホームページより、最新式の画像を引用)
です。
フラット型自動スクリーン捺染機は、手捺染の仕組みをそのまま機械に置き換えたもので、
スクリーンがフラット(平面的)になっています。
古くからあるタイプなので、
ヴォン・ハム・ヤング社の捺染機はおそらくこちらのタイプでしょう。
それに対してロータリースクリーン捺染機は、スクリーンが筒状になっています。
フラット型より高速でプリントできる機械です。
さて、今回で、モリー・ケニー女史が語る、プリント生地の話の項目は終わりです。
また、「戦中・戦後編」の章も終わりとなります。
「戦中・戦後編」の章に長い間お付き合いくださり、ありがとうございました。
次回からは、次の章となり、タイプ別分類の紹介となります。
もうしばらくお付き合いください。
(次回に続く)
コメント 0