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ハワイの衣料品製造業の歴史 その227 1959年 衣料品メーカーは100万ドルのプリント生地を縫う(3) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]

ファンダバーク教授の本『ハワイの衣料品製造業の歴史』の翻訳をお届けしています。

現在は、「戦中・戦後編」の章を少しずつ翻訳しているところです。
今回も前回と同じ新聞記事の引用部分ですが、
アルフレッド・シャヒーンの話から、ハワイの衣料品業界全体の話に移っています。




『1959年 衣料品メーカーは100万ドルのプリント生地を縫う(3)

  ”いくつかの数字を挙げておくと・・・。”

  ”1947年には衣料品業界の年間売上高は100万ドル以下であった。”

  ”それが1953年には500万ドルに上っていた。

  昨年(訳注:1958年)、ハワイアン・スタイルのハワイ製衣料品の総生産高は
  1000万ドルであった。

  その総生産高は今年1500万ドルを超えるだろうと
  衣料品業界の重鎮たちは予言する。

  そして今から20年で1億ドルの産業になるだろうと言う。”

  ”「ハワイアン・スタイルのハワイ製衣料品の可能性は無限大です」と、
  ハワイ・ファッション協会の会長、ロバート・T・ガフニーは言う。

  ちなみに同協会には衣料品メーカー27社が加盟しており、
  その生産高は衣料品産業全体の90%を占めている。”

  ”「我々はまだ表面をひっかき始めたばかりです。」”

  ”「カリフォルニアを見てみなさい。
  あそこの衣料品産業は25年前(訳注:1934年)に
  全く何もないところから始まりました。

  それが今日では年間7億ドルのビジネスとなっており、
  それは合衆国の既製服市場100億ドルのまだ9%に過ぎないのです。」”

  ”「ハワイだって同じことができますよ。
  我々を止められるものは何もありません。」” 』




(次回に続く)

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